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社説・コラム

社説 特定秘密保護法1年 情報公開の手段 保障を

 きょうの完全施行で国民の「知る権利」が一層狭まりかねない。特定秘密保護法である。

 昨年12月施行された秘密法の本格運用を意味しよう。国はこの1年で外交、防衛、スパイ防止、テロ防止の4分野にわたる情報を扱う公務員らの「適性評価」を進めた。犯罪歴や酒癖、家族の国籍までも調べた。締め付けによって個々の良心が押しつぶされ、過ちを内部告発する空気が損なわれないか心配だ。

 日々感じにくいが、施行半年余りで防衛省や内閣官房など10機関の400件余りが秘密指定されている。文書数にして約23万件になる。このうち外務省の一件は「北方領土問題に関する交渉及び協力の方針等に関する情報」とテーマを記すが、詳しい内容は示されていない。どんな情報が、なぜ非公開となるか分からないのは気味が悪い。

 法の中身をおさらいする。外部に漏らした側だけでなく、情報を得た市民や報道機関も厳罰に処せられる恐れがある。秘密指定の期間も原則30年としているが内閣の承認で60年まで延ばせる。はたまた行政の都合で文書を廃棄できる抜け穴もある。

 最も大きな問題は、時の政権の思惑で幅広い情報が一方的に秘密指定される点であろう。

 安倍政権は安全保障関連法と一体運用する方針でいる。漏れれば安全保障に著しい支障を与える恐れがあると判断した場合、特定秘密にできる。肝心の集団的自衛権の行使要件は国会審議で明らかにされなかった。恣意(しい)的な秘密指定がまかり通るようなら、国民が是非を判断できないまま自衛隊が海外で武力行使する事態も起こり得る。

 戦争はしばしば政治の暴走や情報操作で引き起こされてきた。日中戦争の発端となった満州事変がそうで、米国によるイラク戦争も開戦の大義とした「大量破壊兵器の保持」は誤りだった。後世、こうした政治判断を検証できるだろうか。

 国民の不安や疑念から政府は独立した監視機関を四つ設けた。それも「身内」の省庁官僚が委員だったり、国会議員が監視する組織も指定解除する強制力を与えられていなかったりで、おざなりな感は否めない。

 国家には保護すべき機密が一定程度あるのは否定しない。パリ同時テロのような惨劇を国内で防ぐためには、情報収集や万全の備えが求められる。要は、適切な文書開示制度や秘密指定解除の仕組みがあってこそだ。

 政府は情報公開法に基づき「誰でも情報公開請求ができる」としているが、そもそも特定秘密を含む文書の概要リストが公開されておらず、市民には手続きのハードルが高すぎる。さらには裁判に訴えても、裁判官が文書に触れる権限がない。これが民主主義を掲げる先進国の姿であろうか。

 政府は秘密保護のモデルとした米国に学ぶべきだ。大統領令や情報自由法は、市民による指定解除請求や不服申し立てを認めている。国務省高官らでつくる専門審査機関が設置された1996年以降、実に7割もの秘密指定が解除されている。

 万が一、安保関連法の発動で日本が戦争に巻き込まれたとき、国民が後に真実を知るのは米国の情報公開によってかもしれない。これでいいはずがない。国会は法の廃止も視野に、もう一度議論を尽くすべきだろう。

(2015年12月1日朝刊掲載)

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