×

ニュース

中国地方 しのぶ声 鬼太郎で活気/飾らない人柄/最適のテキスト 水木しげるさん死去

 「ゲゲゲの鬼太郎」などで知られる人気漫画家、水木しげるさんが93歳で亡くなった30日、古里の境港市をはじめ、ゆかりの深い中国地方では死を悼み、人柄をしのぶ声が広がった。

 境港市本町の水木しげる記念館。庄司行男館長(59)は「信じられない。信じたくない」と無念の表情を浮かべた。ことし7月、テレビ局の取材で対面したのが最後。「車いすだったが、食欲も旺盛。穏やかな表情が印象的だった」。追悼の特別展などを企画する。

 JR境港駅前の水木しげるロードには、水木さんの妖怪のブロンズ像を配置し、年間200万人以上の観光客が訪れる。同ロード振興会の権田淳一会長(62)は「シャッター通りだった商店街が一大観光地になったのも先生のおかげ」。境港市観光協会の桝田知身会長(74)も「奥の深い妖怪ワールドがあったからこそ、ここまでのまちづくりができた」と感謝する。

 安来市にある妻の武良布枝(むら・ぬのえ)さんの生家では、布枝さんの実兄、飯塚藤兵衛さん(85)が「ざっくばらんで飾り気のない男。ここに泊まっては、面白い妖怪の話をしてくれたことを思い出す」としのんだ。

 江戸時代の妖怪伝説「稲生物怪(いのうもののけ)録」の舞台である三次市。水木さんは、その伝説を漫画化するための取材などで訪れた。2000年には原画展が開かれ、06年に同市であった世界妖怪会議にも参加した。

 市民グループ「物怪プロジェクト三次」の小田伸次副代表(58)は、同会議で水木さんが即興で描いた「ゲゲゲの鬼太郎」のキャラクターの絵を自宅で大事に保管する。「亡くならない妖怪ではと思い始めていたのだが…。お会いして、『何事も突撃ですよ』とアドバイスいただいた。妖怪をメジャーにして、町おこしなどに向けたコンテンツに引き上げた功績はものすごく大きい」と肩を落とした。

 水木さんは自らの戦争体験も漫画化し、ユーモアに包んで反戦を訴えた。初期の貸本漫画に、原爆に着想した作品「台風爆弾」(1959年)もある。5年前にその復刻を手掛けた編集者の山田英生さん(47)=東京都=は「最晩年は特に、戦争体験へのこだわりを深めておられた。時代に対する反応とも思える」。

 比治山大短期大学部(広島市東区)美術科マンガ・キャラクターコースの久保直子講師(34)は、水木作品を学生に薦めているという。「赴いた戦地での住民の日常を描くなど戦争を多角的に捉えた視点は、広島で漫画を学ぶのに最適のテキストだ」と惜しんだ。

(2015年12月1日朝刊掲載)

年別アーカイブ