『生きて』 核物理学者 葉佐井博巳さん(1931年~) <15> 顧みて
15年12月3日
戦争なき世界つくろう
物質とは何なのか。原子核研究に長い間熱中しました。ただ、実験は徹夜続き、左肺がない50代になると体にこたえた。最新の研究は素粒子や今話題のニュートリノ実験に入っていました。原爆放射線量の測定や推定方式の検証に移ったのは、本来の研究からすれば離脱です。しかし、科学者の社会的責任を強く考えるようになりました。
広島の試料から追究した「DS02」は、被爆者が受けた放射線量をより正確に推計する。だからといって死者は生き返りません。生存者の後障害調査に生かされ、国際的な放射線防護の評価に反映されても、体は元に戻るわけではない。
初期放射線を1キロ以内で浴びて健在の人がいれば、1日で1000分の1に減衰した誘導放射線で亡くなった入市被爆者がいます。人体への影響は、低線量や内部被(ひ)曝(ばく)の問題を含め残念ながら解明されていません。放射性降下物が広範囲に飛び散った福島第1原発事故の被害者についても、一人一人に添った正確な調査が求められています。
原爆を開発したロバート・オッペンハイマーは、造るべきではなかったと後に言い、水爆には反対した。結果は殺りくと破壊だったからです。そして70年たっても原爆症は続いている。科学者の責任は重いと思います。
私自身、若いころは競争心にも駆られた。休みの日は体を鍛えようとソフトボールに興じた。広大野球部長をした縁で広島六大学野球連盟理事長を10年余り務めました。息子2人の教育や家のことは妻の尚子に任せっ放し。反省するばかりです。しかし、ヒロシマに立ち返って研究してきたことや、若い人たちと取り組む継承活動には悔いはありません。
核兵器を持ち依存するのは戦争を前提にしているからです。勝ったとしても、殺りくと破壊は人間の逆行であり未来ではありません。私たちは戦争なき世界をつくる責任がある。被爆者として科学者の一人として最期まで果たしたいと思います。=おわり(この連載は編集委員・西本雅実が担当しました)
(2015年12月3日朝刊掲載)