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「留学生の母」半世紀に幕 広島の増村さん あす最後の交流会

 半世紀余り、広島県内の外国人留学生を支援してきた広島市東区光町の増村昭子さん(86)が5日、最後の交流パーティーを開く。市民の支援団体「ホームアジア広島支部」を設立し、これまで約600回開催。異国の地で奮闘する留学生を優しく見守り「広島のお母さん」と慕われた。年齢を重ね、体が少々きつくなった。「一定の役割は果たせたかね」。最後の日、留学生が感謝の思いを届ける。

 自宅の玄関脇に、アルゼンチンや中国の留学生がくれた母国の土産や記念写真が並ぶ。これまでアジアや南米からの留学生たち数千人と交流。「この子たちは私の生きがい。思い出がよみがえる」。増村さんはそう言うと表情を緩めた。

 旧満州(中国東北部)で育ち、終戦後に広島に引き揚げた増村さん。「当時、旧満州の人に支えられた。今度は自分が恩返しする番」と、1961年に支部を設立。64年から「寂しい思いをさせたくない」と月1回のパーティーを始め、今も続く。当初は自宅で手料理も振る舞っていたが、口コミで広がり、参加者が増えたため、牛田公民館(東区)や市留学生会館(南区)に場所を移した。

 「留学生はわが子同然ですよ」。交通ルール、買い物の仕方…。パーティーでは日本で暮らすすべを教えた。時には住まいを準備してあげることも。「とにかく手がかかった」と笑う。そんな増村さんを留学生は「広島のお母さん」と呼ぶ。

 91年から5年間、広島で建築を学んだブラジル在住の日系ブラジル人2世のフルカワ・クラウジオ・シズオさん(49)は「台風で不安な時にラジオと懐中電灯を家まで届けてくれた」と懐かしむ。「増村さんのおかげで楽しく安心して日本で暮らせました」。増村さんが2000年に旅行でブラジルを訪問した際には留学生仲間と出迎え、昔話に花を咲かせた。「自分も留学生に多くのパワーをもらった」と増村さん。しかし、ことしに入り体力が落ち、パーティーの欠席も増えた。

 5日は市留学生会館であり、県内外から元留学生たちを含め約50人が集まるという。これまでのパーティーの写真を展示し、映像も流す。増村さんは寂しい気持ちもあるが、「これからも留学生と付き合っていくことに変わりはない」。留学生は花束や感謝のビデオメッセージを贈り、「お母さん」の花道を飾る。(土井和樹)

(2015年12月4日朝刊掲載)

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