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社説・コラム

『潮流』 「秘史」の証人逝く

■論説副主幹・岩崎誠

 近々、また訪ねようと思い立ったばかりだった。その人の訃報を東京新聞の小さなコラムで知る。神奈川県逗子市の信太(しだ)正道さん。88歳で旅立ったという。

 初めて会ったのは20年以上前になる。1992年から2年、広島に居を構えて「不戦兵士の会」中国支部設立にエネルギッシュに動いていたのを思い出す。

 自伝「最後の特攻隊員」を読み返すと波乱の生きざまが目に浮かぶ。神風特攻隊の生き残りが戦後、海上保安庁を経て自衛隊の前身の一つ、海上警備隊創設に関わり、航空自衛隊発足と同時にパイロットとなる。退官後は日本航空の機長として世界を股に掛けた。そして還暦を迎えるとともに平和運動の道へ―。

 あの戦争に加え、戦後日本の歩みを身をもって語れる生き証人だった。

 逗子に戻った後にも自宅を訪ねたことがある。朝鮮戦争50年を機に、当時の秘史を聞くためだ。日本の参加はないはずの戦争。米国の極秘要請を受け、海上保安庁が朝鮮半島の周辺にばらまかれた機雷を除去した任務にも加わったのだ。

 2カ月間、米軍監視下で乗り込んだのは木造の掃海艇ではない。機雷に反応しやすい鋼鉄製の貨物船だ。「試行船と呼ばれていました。要は私自身がモルモット」。機雷処理が済んだ海域を通り、爆発しないか確認する作業。日々恐怖と隣り合わせであり、人権など度外視に映ったそうだ。

 戦争と軍事の論理の非情さを肌で感じたからこそだろう。平和憲法と不戦の意義を語り、古巣の自衛隊の海外派遣に警鐘を鳴らし続けた。「戦争屋にだまされてはならない」と極論にも思える物言いで。

 まだ語り足りないものはあったはずだ。安全保障関連法で、日本の機雷掃海がまたも焦点となっていることをどう受け止めるのか。もう一度、思いのたけをじかに聞いておきたかった。

(2015年12月5日朝刊掲載)

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