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人間の尊厳に強い思い 金泳三元韓国大統領を悼む

 韓国の元大統領で、民主化の闘士としても知られた金泳三(キム・ヨンサム)氏が11月22日、87歳で亡くなった。5年前、ソウルの自宅で日本統治時代(1910~45年)の記憶を語ってもらったことがある。人や民族の尊厳を強く意識させられたインタビューを聞き直してみると、いじめやヘイトスピーチが顕在化する現代社会へのメッセージにも聞こえる。

渡辺教頭を敬慕

 語ったのは、現在の韓国南海岸、統営(トンヨン)市にあった統営中時代の話。カタクチイワシ漁を中心に、広島県から多くの漁業者が移住していたこの町の旧制中学に金氏は1943年から45年まで通った。

 「われわれと日本人学生を絶対に区別せず、むしろかばってくれた」。金氏が語る思い出には何度も渡辺巽(たつみ)という教師の名前が出てきた。広島高等師範学校(現広島大)出身で金氏在学時の教頭だ。

 敬慕の念は祖国の解放後も変わらず、54年の国会議員初当選直後に夫妻を韓国に招いたほど。まだ日韓間に国交はなく、反日感情も厳しかった。「日本人を呼んでいると知れ渡ったら大変な目に遭ったはず。先生には人前で絶対、日本語を使わないよう頼んだ」と振り返る。大統領就任後も、亡くなった渡辺氏の長男家族を官邸に招待している。

 金氏がこれほどまでに渡辺氏を慕ったのはなぜか。答えは、同中校長にまつわる記憶から探ることができる。「キムチの入った生徒の弁当を『ニンニク臭い』と言って運動場に放り投げる」「朝鮮語を使っている学生を絶対、許さなかった」…。

民族の悲哀 実感

 他の日本人教師についても「校長ほどひどくはなかったが、渡辺先生とは相当差があった」と言う。そして、「この人たちは、われわれのためにいるのではないと思うようになった」と振り返る。支配される側の民族の悲哀を、成人前の少年たちも敏感に感じ取っていたことが分かる。

 そんな時代を生きたからこそ、渡辺氏の振る舞いは彼らへの癒やしとなり、深く心に刻まれたのだろう。渡辺氏に対する敬慕の言葉は、韓国に住む他の教え子たちからも聞いた。

 晩年は、日本の若者への講演活動にも積極的だった金氏。「密接な人的、経済的交流がある隣国。未来に目を向けなければ駄目だ」と訴える一方、「未来を語るだけでは、過去を記憶する韓国人は共鳴できない」と歴史への謙虚さを求めることも忘れなかった。「あの時代にも立派な日本人教師がいた」と渡辺氏の“歴史”も必ず添えながら。

 「私の一生を通じても強く印象に残る」「両国にとっても先生のような方がいてくれてよかった」。インタビューの最後の言葉があらためて重く心に響く。(伊東雅之)

(2015年12月5日朝刊掲載)

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