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画家の加納莞蕾 再評価 フィリピンに戦犯恩赦求める 初の評伝 美術館も訪問増

 太平洋戦争後、フィリピンで戦犯として裁かれた日本人への恩赦を求めて運動した安来市出身の画家加納莞蕾(かんらい)(本名辰夫、1904~77年)の足跡が、あらためて注目を浴びている。終戦70年のことし、初の評伝が刊行され、作品や資料を収める同市の加納美術館を訪れる人も増えている。

 莞蕾は洋画家として独立美術協会などで活動。戦後の49年、知人の元海軍少将がフィリピンの軍事法廷で死刑判決を受けたのをきっかけに、恩赦を求める運動に没頭する。

 当時のエルピディオ・キリノ大統領をはじめ、フィリピンの要人に計200通を超える嘆願書を送り続けた。キリノ大統領は妻と3人の子どもを日本兵に殺されている。嘆願は、回を重ねるごとに軍国日本の罪の認識を深め、平和のために「赦(ゆる)し難きを赦す奇跡」を待ち望む―と訴えた。

 キリノ大統領は53年7月、その海軍少将を含む105人に対する恩赦を発表。既に処刑されていた17人の遺骨とともに帰国が実現した。

 ことし3月、莞蕾の四女の佳世子さん(71)=安来市=が評伝をまとめ、画業と人生に光を当てた。研究発表や報道、佳世子さんへの講演依頼も相次いだ。安来市加納美術館への来館者は4~11月で9千人余りと、例年の倍のペース。神(じん)英雄館長は「人気の高い企画展を開いた影響もあるが、莞蕾の常設資料が目当ての人も多い」と言う。

 フィリピンでの戦犯裁判に詳しい広島市立大広島平和研究所の永井均准教授は「キリノ大統領の決断には複合的な要因があるが、恩赦を求めた多くの運動の中で莞蕾の熱意は際立つ」と話している。(道面雅量)

(2015年12月10日朝刊掲載)

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