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母の秘めた「被爆」 継承を 広島市西区の武田さん 遺筆自費出版 

 広島市西区の被爆2世、武田公子さん(68)が、母親の被爆体験記を収めた本「母からのおくりもの」を自費出版した。新聞の折り込み広告の裏に21枚にわたってひそかに書き残していたのを、死後に見つけた。被爆70年の節目に世に出し、「母が訴えたかっただろう戦争の理不尽さと原爆のむごさが、次世代に伝われば」と願う。(田中美千子)

 母上野満子さん(2003年に82歳で死去)は24歳の時、東観音町(現西区)の自宅で被爆。胸や手を焼かれ、鏡の破片で顔に深い傷を負った。満子さんは母親や姉たちと逃げたが、家の下敷きになった父親を亡くした。3歳だったおいとははぐれ、15年後に広島戦災児育成所(現佐伯区)にいると分かり、再会したという。

 手記は1945年秋までの日々を克明に振り返った。猛火から必死に逃げた被爆直後、別れた家族を思って眠れなかった夜…。顔の傷を木綿針で縫う処置に耐えた後、周りの制止を聞かず、1人になって手鏡で傷痕を見た時は「フトンをかぶった。次からつぎから涙が出て止まらない」と記した。

 この遺筆は09年ごろ、武田さんの兄が南区にあった自宅を市の段原再開発事業による立ち退きで取り壊した際に見つけた。広告の日付から、同居していた満子さんが95年夏に書き始めたらしい。生前は体験談をせがんだことがないという武田さん。「衝撃だった。直接聞かなかった悔いが募り、遺筆をどうにか生かしたいと思った」。文章を整え、母の十三回忌でもあることし、出版にこぎつけた。

 A5判、103ページで、親族の被爆体験も収めた。70部を作成。寄贈した原爆資料館(中区)で読めるという。05年から同館のピースボランティアも務める武田さんは「母と同様、原爆に人生を奪われたり、変えられたりした人がどれだけいたか。戦争は嫌だと発信する人が増えてほしい」と望む。

(2015年12月13日朝刊掲載)

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