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社説・コラム

銀幕再興 信じる映画の力 広島にゆかり3氏の提言 

 デジタル化やインターネット配信の普及、シネコンの台頭と街中映画館の減少…。激変する環境の中、地方からシネマを支え、育もうとする人々や動きを紹介してきた連載「銀幕再興」。映画が今後も文化や娯楽の中心であり続けるためにはどうあるべきか、広島ゆかりの人たちに聞いた。(余村泰樹)

尾道市出身の映画作家 大林宣彦さん(77)=東京都世田谷区

文化育む街中の学びや

 映画は学校だ。普段人が忘れたいとか、考えたくないとかいうことを、ハラハラ、ドキドキ、ワクワクしながら面白く考えやすく提示してくれる。普通の学校は眠くなるけど、映画の学校は目が覚めちゃう。それがアートの素晴らしさ。

 世の中、シネコンばかりになったけど、ある時期から街中の映画館をもういっぺん取り戻そうという動きが全国で広がった。映画館は平和で穏やかな暮らしをつくる文化の拠点。特別な環境じゃなくて、買い物帰りに親子でちょっと行ける。そんな場が街中にあるのはとても大切です。

 僕が名誉館長を務める深谷シネマ(埼玉県)は一番いい例。映画館を中心に若い人たちが戻り、街の再生も進んだ。フィルムコミッションを兼ねていて、インディーズのいい作品が生まれている。日本人が映画をうまく使い始めた。映画館がなくなった尾道で市民が復活させたシネマ尾道のスタッフも、開館に向けて学びに行った。とても喜ばしい動きです。

 近年、フィルムからデジタルへの大きなうねりがあった。映画は科学文明が生んだ表現メディアだから、科学文明の発達は大きな進歩につながる。ただ、新作をデジタルでしか配給せず、フィルム上映できる映画館がなくなったのは、経済とともに歩んできた映画の不幸だ。映画120年の歴史が生んだフィルムの名作を上映できなくなるのは大問題。フィルムからデジタルに変わるんじゃなく、フィルムに加えデジタルが増えるのが本当の豊かさ。

 経済優先でフィルムをなくす動きに対し、僕たち表現者は闘わなくちゃいかん。僕は3・11以降、デジタル作品を製作するなど、映画人の中では積極的にデジタルを取り入れた人間です。ただ、フィルムにできることは絶対にデジタルじゃできないし、逆にデジタルにできることは絶対にフィルムじゃできない。代替品じゃないということを表現者が証明しないと。

 デジタルで映画を作る時も、フィルムから勉強していれば味わい深いものはできる。例えば音や絵の合成は、素材を並べてボタンを押せばできるけど、これは薬用アルコールのよう。デジタルでも一つ一つ考えて合成すると、どぶろくのような味が出る。それが映画の表現の強さにつながる。

 配信サービスを使えばスマートフォンでも映画を見られる時代ですが、スマホでは映画を見たとはいえない。これから、スマホの画面をうまく使って表現できる作家や、そんな作品も出るでしょう。新しいものが出てきてほしいとは思うけど、今までのものと代替しようと思うからおかしくなる。やっぱり小津映画やベン・ハーは映画館のスクリーンで見るべきだ。

 映画の楽しみには、作ること、見ることだけでなく、誰かと考え、語り合うこともある。一人で見るのは素材を見ているだけ。けれど映画館に行き、生まれも育ちも、考え方も違う人たちと映画を見て、語り合ったり、一緒に考えたり。すると理解し合えて許し合える。そして愛が生まれるのが映画なんです。

 映画には平和をつくる力がある。ただ、かつては感情を刺激し、戦意高揚にも使われた。表現者は、世論を映す鏡でもあり、風化しないジャーナリズムとして大きな力がある映画をしっかりと生かすことが大切です。

広島映画サークル協議会運営委員 友川千寿美さん(63)=広島市南区

人に勇気 大画面でこそ

 映画は人間に生きる勇気を与えてくれる。知らない人も含め、いろいろな人と一緒に笑ったり、泣いたり、憤ったり。みんなで思いを共有すると、受け取る勇気も増幅する。

 インターネットなどで情報を手に入れやすくなったけれど、映画の内容を生きるエネルギーに替えるのには、日常の一部であるスマートフォンやテレビで見るのでは弱い。映画館という「非日常」の空間で、大きな画面から、しっかりと受け止めることが大切。

 映画ほど短時間で人生を追体験できるものはない。私も映画からいろいろなことを教わった。「ローマの休日」を見て、ヨーロッパに憧れ、イラン映画「運動靴と赤い金魚」で中近東のリアルな暮らしを知った。

 広島は序破急が運営する八丁座やサロンシネマ、横川シネマなどの映画館があり、中心市街地は映画の観賞環境としては恵まれているが、中国地方でも映画館のない地域は多い。私は、「シネマ・キャラバンV.A.G」の副代表として、中山間地域など映画館のない市町村を巡回し、自信を持って見てもらえる良質の映画を届けている。

 上映会は年間500回開く。映画で育った団塊の世代以上は巡回上映を楽しみに、車で乗り合わせて見に来てくれる。公共ホールでの上映は、音響や遮光に注意を払う。映画館にはかなわないけれど、一歩でも近づけるように努力している。「良い時間だった」「元気になった」という言葉を聞くと、映画の力を実感する。上映する側として責任も感じる。

 最近の日本映画への注文は、シナリオをもっと大切にしてほしい。いくら優れた演出家や音楽家、役者がいても、設計図であるシナリオがしっかりしていないと、素晴らしい作品はできない。海外の映画に負けている。国内や世界の日々の動きにアンテナを研ぎ澄ませ、ちょっとだけ先のことを考え、ヒントを示せる映画を作ってほしい。そんな作品から見る人たちは生きる力をもらえるのだから。

 映画は、観客が見ることで完結する。山田洋次監督は「良い観客が良い作品を育てる」と言っている。私たちは、できあがった作品をたくさんの人に見てもらい、お客さんは見て映画を支える。つまらない作品には駄目出ししたっていい。良い作品を育てるためにも、映画館や大きな画面で見る文化をこの地域からしっかり伝えていきたい。

映画館運営会社「序破急」銀幕部長 戸川喜史さん(50)=広島市中区

「非日常」の演出が大切

 監督、脚本家、俳優、宣伝や配給のプロなど、映画はいろいろな人の手で作られている。だからこそ、作品を劇場スタッフが自らの手で届けることを心掛けている。2014年に移転オープンしたサロンシネマ(広島市中区)には、無声映画時代に場面説明やせりふを語る活動弁士が使っていた弁士台を設けた。毎日大変だけど、映画が始まる前に、スタッフが作品を説明し、お客さんに手渡しすることを大切にしている。

 今はインターネットで映像が無料で見られる時代。映画のネット配信も始まり、これからはネットで見るものだと思う人が出るかもしれない。だからといって映画の価値を下げたくない。誰も見ていないのに予告編をロビーで延々と流す館もあるが、うちはしない。映像を安売りせず、映画はスクリーンで見るものという思いがあるからだ。

 サロンシネマの移転に関わるため、14年に序破急に転職した。それまで大手シネコンで支配人などを務めた。シネコンは合理化とハイテク化が進んでいる。自動発券機を導入し、ネットでチケットが買える。もぎりもいなくなり、誰とも会わずに映画が見られるようになるかもしれない。スタッフも映画について知らなくていい。合理化の先には、「映画館に行かないのが一番便利。家でネット」となる不安があった。

 サロンシネマは「映画をきちんと見てもらう」という原点回帰を目指した。映画は映画館で見てもらうのを前提に作られている。椅子やスピーカー、映写機といった鑑賞環境を第一に、作品をしっかり見せ込むことを意識している。

 デジタル化で映画が簡単にできるようになり、日本映画の公開本数は10年前の2倍になった。劇場に直接作品を持ち込むケースも増えた。ただ、簡単にできるからかクオリティーの低いインディーズ映画が増えている。大手の映画も漫画を原作にしたり、キャスティングや企画主導だったりと、安直な作品も目立つ。劇場としては、ありきたりでなく、何かを発信しようと製作者が本気になった作品をくみ上げたい。

 お客さんに気分を売る映画は、上映前から始まっているといえる。劇場のしつらえも映画の一部。一歩踏み込めば物語が始まる。私たちの映画館では、最近ほとんど姿を消したどんちょうをあえて付けるなど、非日常の気分を大切にしている。足を運ぶのは面倒くさいと思うかもしれないけど、テレビやネットにはないワクワク感を味わってほしい。原点回帰こそ、映画が生き残る道だと思う。

「銀幕再興」は今回で終わります。

(2015年12月15日朝刊掲載)

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