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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 草田カズヱさん―顔に黄色の閃光浴びた

草田(くさだ)カズヱさん(85)=広島県海田町

背中のガラス片 42年間刺さったまま

 15歳で原爆の閃光(せんこう)を浴びた草田(旧姓小松)カズヱさん(85)は大やけどを負いました。戦後、つらい記憶から逃(のが)れ、青春を取り戻せたのは、通っていた安田高等女学校(現安田女子高)でソフトボールに打ち込めたからでした。誰もが好きなことを楽しめる今。二度と戦争が起きないよう願っています。

 4年生だったあの日、広島市大須賀(おおすが)町(現南区)の同級生の家(爆心地から約2キロ)にいました。一緒に登校するため2階で別の同級生と待っていると、山陽線の列車の汽笛が盛んに鳴るのが聞こえました。「どしたんかね」。話していたら、ぱあっと黄色の光が顔の左側に当たりました。

 「ドン」の音は聞こえず崩れてきた天井(てんじょう)の下敷きに。助け出されると、下半身は大やけど。はいていたもんぺは焼け裾(すそ)のゴムだけが残っています。しかし痛みは感じません。何が起きたか分からぬままでした。

 近くの京橋川に出ると、人が泳いでいたり浮かんでいたり。顔のふくれた兵隊が岸辺を埋めています。同級生たちと広島東照宮(とうしょうぐう)(現東区)に逃げる途中、赤ちゃんを抱いた母親がいました。2人とも亡くなっていましたが、だれも心配する余裕はありませんでした。

 翌日の昼ごろ、地元の矢野町(現安芸区)から救護しに来た男性に自宅へ連れて帰ってもらいました。自転車に乗せられ、自分と同じ「こまつ」と名乗る男性が約10キロの道をずっと押してくれました。礼を言わなかったのが心残りです。

 自宅で寝込みましたが、母がキュウリの搾(しぼ)り汁(じる)を付けたガーゼでやけどを手当てしてくれました。起き上がれるようになったのは10月ごろ。柱を持ってゆっくりと立ちましたが、傷口から血がにじみ出てきました。その後、学校に復帰しましたが、やけどの痕(あと)はケロイドになりました。

 ソフトボールとの出合いは被爆の翌年。「プレーグラウンドボールやらないか」。故安田実(みのる)教諭(後に安田学園理事長)に勧(すす)められました。「男のやるスポーツ」と思っていたので、一度は断りましたが、始めてみると面白く、のめり込みました。

 主将としてチームを引っ張りました。ルールが分からずバットを振(ふ)って三塁に走る選手、安打でも進まない走者…。道具がなく素手とはだしでしたが、体を動かして協力することで、恐(おそ)ろしい体験から解き放たれたのです。練習に励み、1947年の広島県大会で初優勝を飾(かざ)りました。

 野球観戦も大好きです。90年に72歳で亡くなった夫の静雄さんと、広島東洋カープの試合をよく見にいきました。1日2度登板した「小さな大投手」故長谷川良平(はせがわ・りょうへい)投手の姿に、気持ちが湧き立ちました。

 それでも、原爆を思い出すことがあります。友だちと旅行で温泉に行った時、風呂場(ふろば)で「しまった。ケロイドを見られはしないか」。一緒に来たことを後悔しました。87年には、背中が痛くて手術を受けたところ、長さ約2センチのガラス片が出てきました。原爆の爆風で体に突き刺さったままだったのです。

 今年9月、マツダスタジアム(南区)で「史上最年長のホームランガール」を務めました。老若男女(ろうにゃくなんにょ)がユニホームを着て家から応援に行く様子は、まるで夢のよう。「絶対に戦争はいけん。国も人もけんかせず、話し合いで平和にしてほしい。健康で楽しく暮らせる生活がずっと続くように」(山本祐司)

私たち10代の感想

若くして負う傷 心痛む

 草田さんの背中から出てきた長さ約2センチのガラス片。他にもまだ体に残っているかもしれないそうです。ものすごい爆風を浴びたのだと驚(おどろ)くと同時に、このような傷や重いやけどを若いころ負ったことに心が痛みました。「みんな争わず、話し合いで解決してほしい」。その願いを、しっかり受け止めました。(中1川岸言織)

戦争 時を超えた苦しみ

 足にケロイドが残り、他の人と温泉に入るのが嫌(いや)だったそうです。私も競技中に転び、肩(かた)の傷がケロイドとして残りました。戦争で負った草田さんの傷と理由や程度は違いますが、「見られたくない」と私も感じます。心や体の傷は時間を超(こ)えて人を苦しめます。傷つけ合う戦争を繰り返してはいけません。(中2鬼頭里歩)

部活楽しめる今に感謝

 グラブもスパイクもない中でソフトボールを始めたと聞き、衝撃(しょうげき)を受けました。どうやってボールを捕(と)るのだろう―。しかし、それが戦後の女子ソフトの始まり。私も部活で続けていますが、道具は十分あります。いま楽しくプレーできるのは、多くの人が環境(かんきょう)を整えてくれたからだと気付きました。感謝したいです。(高1山本菜々穂)

(2015年12月15日朝刊掲載)

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