×

連載・特集

韓国のヒロシマ70年 陜川の今 <下> 被爆地の役割 核廃絶 連携芽吹くか

 「核兵器の非人道性に対する認識が、保有国には足りない」。韓国慶尚南道陜川(ハプチョン)郡。郡の原爆被害資料館の建設予定地に立った広島の被爆者で、韓国原爆被害者協会陜川支部の沈鎮泰(シム・ジンテ)支部長(72)は語気を強めた。

被害者の訴え響く

 5月、米ニューヨークの国連本部であった核拡散防止条約(NPT)再検討会議の公式行事で、韓国人被爆者の代表として被爆体験や放射線の健康障害をスピーチ。帰国後、会議決裂の報に触れ、安全保障を理由に核兵器を振りかざす保有国への怒りに震えた。

 その半年後の11月、広島市の市民団体に招かれて中区であった「世界核被害者フォーラム」に参加した。米国の核実験、インドのウラン鉱山採掘、福島第1原発などの核被害者の反核の訴えが胸に響いたという。自らも登壇し「核を保有する限り世界平和はない」と訴えた。核兵器の廃絶へヒバクシャとの連帯の必要性を痛感する出来事だった。

 陜川郡は2011年に、広島市の松井一実市長が会長を務める平和首長会議に加盟。被爆2世の河敞喚(ハ・チャンファン)郡守のもと、来年に原爆被害資料館の建設に取り掛かる。松井市長は展示資料の提供などで支援する考えで「未来志向で発信していける施設になってほしい」と期待する。

 海を超えた連携に期待が膨らむ半面、解決すべき課題も残る。陜川支部の会員29人が、被爆時の証人が見つからないなどの理由で被爆者健康手帳を取得できていない。来年、日本の被爆者援護法に基づく医療費の全額支給が始まっても対象にならない。手帳の交付審査をしている広島市などは、本人の陳述を尊重した責任ある対応が求められる。

「米国の言いなり」

 一方、国同士の関係では、在韓被爆者が日本政府に謝罪と賠償を求める動きが強まっている。韓国の憲法裁判所は11年、1965年の日韓請求権協定で個人の賠償請求権が消滅したかどうかは疑問の余地があるのに、韓国政府が日本に存在を確かめる措置を取らないのは違憲と判断。被爆者が韓国政府を相手取って、日本との交渉を迫る訴訟をしている。

 従軍慰安婦に比べ、そうした措置に政府が消極的なのは、米国の原爆投下責任の追及を避けるため―。在韓被爆者にはそうした疑念があるという。被爆者養護施設「陜川原爆被害者福祉会館」で暮らす金島植(キム・ドシク)さん(80)も「今は日本も韓国も『核の傘』を持つ米国の言いなりだ。日韓は歴史問題を解決した上で、協力してアジアの非核を進めてほしい」と強調する。

 「希望の証し」。福祉会館の入り口に、そんな説明書のあるドングリが茂っている。市民団体の支援で広島市に渡日治療に訪れた被爆者が平和記念公園(中区)で実を拾い、芽吹かせた。沈支部長は資料館の完成後も、広島市民と連携して日韓の官民でさらに「平和公園」建設を目指す構想を抱く。「『韓国のヒロシマ』が、日本と韓国が一緒に原爆の犠牲者を追悼し、平和を願う場所になってほしい。公園づくりから両国の協力を働き掛け、機運を高めたい」(水川恭輔)

(2015年12月18日朝刊掲載)

年別アーカイブ