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社説・コラム

社説 産経前支局長無罪 「言論の自由」再認識を

 無罪判決は当然だろう。産経新聞の加藤達也前ソウル支局長が韓国の朴槿恵(パク・クネ)大統領の名誉を毀損(きそん)したとして在宅起訴された裁判で、おとといソウル中央地裁が下した判断である。

 メディアが権力者を批判する権利が保障されることが民主主義国の証しだ。どんな記事であれ、書いた記者をやみくもに刑事罰に問うことがあってはならない。報道機関の萎縮につながりかねないからだ。

 判決は韓国憲法が言論の自由を保障していると強調した。加藤氏起訴への国内外の批判も意識し、権力側による恣意(しい)的な抑圧を厳しく戒めたものだといえる。検察は誠実に受け止め、控訴すべきではない。

 そもそも検察が保守系団体の告発を受けて起訴したこと自体がおかしい。

 加藤氏が昨年8月に書いた電子版の記事は旅客船セウォル号沈没事故の当日、朴氏が元側近の男性と密会していたうわさを紹介する内容である。韓国紙・朝鮮日報の引用に頼ったこの記事に十分な根拠があったとは言い難いのは確かだ。

 産経側の主張を聞くとうわさの信ぴょう性を確認し検証したとは思えない。ジャーナリズムの本質論からすれば少々安易で品性に欠けるとの批判も出た。その点については産経側も謙虚に受け止める必要がある。

 だとしても記者の起訴は明らかに朴政権の過剰反応であり、不当と言わざるを得ない。判決では重大事故時の大統領の動静は公的な関心事で公共の利益があるとし、中傷する目的はなく政治や社会の関心事を伝えるためだったと認めた。

 一連の経過から見えてくるのはしゃにむに批判を封じようという朴政権の姿勢である。産経は歴史問題を中心に韓国に批判的な報道を続けている。名誉毀損の被害者が訴追を望まなければ処罰できない規定があるが、朴氏本人が沈黙を通したまま判決に至ったのも理解し難い。

 このありさまでは政治の思惑で司法が左右されない「三権分立」が担保されているのか疑わしく、アジアを代表する民主主義国の名が泣こう。判決公判の冒頭、韓国外務省が日本側の懸念や日韓関係への影響を考慮するよう文書で求めたことが明らかにされたことも、日本の常識から考えると異様に映る。

 加藤氏の裁判には国際的な批判が巻き起こった。国連の自由権規約委員会も、政府を批判した人物が名誉毀損罪で訴追される事例が韓国で増えたと懸念を表明した意味は重い。

 先月、従軍慰安婦問題を研究する世宗大の朴裕河(パクユハ)教授が在宅起訴された。検察は研究書「帝国の慰安婦」で当事者の名誉を毀損したと主張するが、この研究は植民地支配下で慰安婦の置かれた構造に迫り、問題提起をしている。学問の自由への公権力の介入にほかなるまい。

 韓国は軍事独裁政権が続き、多くの犠牲を払って1987年に民主化を果たした。その後も歴代政権が名誉毀損訴訟などで報道機関に圧力をかけるいびつな状況が続いているように見える。言論の自由を再認識するよう猛省を求めたい。

 この裁判は、ただでさえ悪化している日韓関係に無用な緊張をもたらした。無罪判決を機に関係修復へ歩み寄る姿勢を忘れないでもらいたい。

(2015年12月19日朝刊掲載)

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