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シュモー会館 新たな命 江波の集会所 来月40メートル移転

 広島市は1月、米国の平和活動家で特別名誉市民の故フロイド・シュモー氏(1895~2001年)が被爆者のために建てた中区江波二本松の「シュモー会館」を移転・保存する。広島南道路の建設予定地にあるためで、建物を基礎部分から切り離して移動させる。移転後は被爆者援助に尽力した外国人の功績を紹介する施設に改修する。(金崎由美)

 周辺では既に南道路の工事が始まっている。市は移転先として、現在地より北西約40メートルの国有地を購入。「曳(ひ)き家」と呼ばれる工法で、レールの上に建物を載せ、ウインチで引いて移動させる。11年度当初予算に経費3200万円を計上している。

 会館は1951年に建てられた木造平屋の約55平方メートル。シュモー氏が米国で集めた募金などで49~53年に住宅「ヒロシマの家」として江波、牛田、皆実の3地区に21棟建設した建物のうち唯一現存する。集会所として使われてきた。

 地元住民などから保存の要望を受けた秋葉忠利前市長が04年、「広島の復興に尽力した功績を後世に伝える」として移転・保存を決定。移転に合わせ耐震補強を施し、シュモー氏や被爆直後の広島に医薬品を届けたスイス人医師故マルセル・ジュノー博士たちの写真やパネルを展示する。

 高校生のときにシュモー氏の住宅建設に参加した山本勇三さん(79)=東区=は「優しく心配りがある人だった。シュモーさんからもらったかなづちをいまでも大事に持っている。市が必要なら提供したい」と話す。

 「シュモーさんの『ヒロシマの家』を語りつぐ会」の今田洋子代表(68)=中区=は「国家の対立を超え、人間として活動したシュモーさんを知る場としてたくさんの人に訪れてほしい」と移転を喜んでいる。

(2011年12月31日朝刊掲載)

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