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社説・コラム

ズームやまぐち 戦後70年 継承へ動き活発化 証言聞き取り・空襲前の町並み地図作り… 

岩国の被爆者団体存続

 戦後70年のことし、被爆や戦争の体験を風化させまいと、県内で記憶を次世代に伝えようとする取り組みが広がった。被爆証言の聞き取りや空襲前の町並みの地図作り、そして被爆者団体の存続。先の大戦を知る人の高齢化が一段と進む中、節目の年に継承への機運は高まり、新たな営みへとつながっている。(増田咲子、柳岡美緒)

 1945年8月9日の長崎市へ原爆投下。熱線に焼かれた人たちの手当てで救護被爆した大下美津さん(91)=岩国市平田=は7月7日、山口市の県立大で社会福祉学部の学生に証言した。

映像などで記録

 「ピカッとものすごい閃光(せんこう)が走った」。大下さんは長崎市から約18キロ離れた長崎県大村市の病院で看護師をしていた。運ばれてきた人々の様子を「やけどがひどく、名前も住所も分からないまま亡くなった人がたくさんいた」と語った。

 県原爆被爆者支援センターゆだ苑(山口市)が同学部の加登田恵子教授(60)=社会福祉学=に依頼し、6月から進めた被爆者の個人史の聞き取り。大下さんを含む7人が応じた。3年間で約25人の証言を文章と映像で記録し、ゆだ苑のホームページに掲載する。

 ことしは加登田教授のゼミで学ぶ3年生9人が担当した。浦田さや香さん(21)は「被爆の実態や当時の社会を全ては想像できないが、被爆者が感じた恐怖が伝わった」と振り返る。大下さんは「若い人がしっかり聞いてくれた。原爆について多くの人に知ってもらうきっかけになってほしい」と期待する。

 学生は10月からのゼミで被爆者の人生に触れた感想を出し合い、平和への決意を担当した被爆者への手紙にして発表する取り組みを進める。いずれも報告書に盛り込む計画だ。

 県内の被爆者健康手帳保持者はことし3月末時点で3226人。平均年齢は81・7歳で体験を自らの言葉で語れる人は少なくなっている。加登田教授は「被爆者の伝えたいことと学生の受け止め方を分析することで、今後の継承活動のヒントを探りたい」と話す。

語り部確保課題

 被爆者団体の活動も岐路に立った。会員の高齢化を背景に存廃問題が持ち上がった岩国市原爆被害者の会(241人)は3月、核兵器廃絶に向け「語り継ぐ役割を再確認した」と活動継続を正式に決めた。広島県内で解散が相次ぐ中、学校での語り部活動や証言の映像化にあらためて力を入れると確認した。

 藤本伸雄会長(75)=同市室の木町=は「真実を直接伝えることが大切だ」と強調。ことしは会員が小学校など6カ所に出向いて体験を語った。2014年秋に始めた被爆証言の映像化は、これまでに4人を収録した。

 5人の語り部の最高齢は90代。新たな語り部の確保といった課題を抱える。来年はさらに学校での証言を増やすため、会員に協力を呼び掛けるほか、被爆2世の入会も促す。

 70年前、県内各地は甚大な空襲の被害に遭った。岩国空襲を語り継ぐ会は、終戦前日の8月14日に壊滅的な被害を受けた岩国駅前の様子を復元しようと、当時を知る市民たちの協力を得て町並みの地図を作った。

 「若い世代に戦争の悲惨さを伝えなければならない」と森脇政保事務局長(82)。今後も情報を集め、地図の精度を高めるという。体験の記憶や平和への思いを未来へつなぐ努力と模索は、これからも続く。

(2015年12月24日朝刊掲載)

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