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連載・特集

2015年「読者文芸」選を振り返って 6氏の年間選評

歌壇

道浦母都子

戦後70年 平安を願う

 今年は、戦後70年。日本全体が揺れた年でもあった。

 「幾万の兵征かしめし宇品港知る人ありや釣り人並ぶ 藤岡礼子」

 「顧みて戦後七十年の生きざまよ死にそこなひの負ひ目背負ひて 西谷廣正」

 戦争の時代を生き抜いた作者からは、この平安を守りたいと願う作品が多く届いた。

 「授かりし七十八歳しみじみと被爆手帳に八歳の文字 松岡邦充」

 この作品からも同じ思いが伝わってくる。

 毎回、膨大な数の投稿に驚き、また、ありがたく拝見しているが、死をテーマとする作品が目につくのは、作者の年齢層が、高いということと関係があるのだろうか。

 「魂の通過点だという火葬促されながら子はボタン押す 岡田郁枝」

 「死に顔もひとの一面やわらかくまなこを閉じた顔見つめおり 松島道幸」

 いずれも、死者を弔う歌だが、悲しみというより、優しさが、勝った作。「死」をうたうのは難しいが、表現の角度によって、悲しみを中和できるのだと感じられる作。

 「ピオーネの弾力のあるなめらかさ卑弥呼は知らぬ卑弥呼の乳首 山田典彦」

 いつも、達者な作品を送ってくださり、歌壇を刺激してくれる。この作者の良さは、独自性があるということ。目にした対象を、何に引きつけて一首とするか。その点に多く学ぶところがあると思う。来年もよろしく。(歌人=大阪府吹田市)

詩壇

野木京子

心打つ 家族への追悼

 広島に原爆が落とされて70年。世界の平和はいまだ実現されず、不穏な国際情勢に私たちの不安は募る。なぜ残忍なテロや戦争が続くのか、考えても分からないことばかりだが、田村英司さんの「遠い空に」は、血の通った人間の目線から、青い空へ問いを投げた。広島の苦しみを描く井上雅博さんの苦闘も心に深く残る。「戦後70年」という大文字の言葉ではなく、苦労した伯母の人生に思いをはせた桜まさこさんの「節目に」もしみじみと味わいがあった。

 詩の材料はどこにでもある。社会状況に、近親者の悲しみに、台所に、夢のなかに、記憶のなかに詩が隠れている。夢で啓示のように聞こえた言葉から思索を深めた大垣由香里さん、台所の白菜の重さから真実にたどり着こうとしたそらの珊瑚さんの作品は、詩の種が身の回りにあることを思い起こさせてくれた。

 亡くなった家族への追悼の詩も多くあり、心打たれた。山口和愛さんの慟哭(どうこく)に胸ふさがる思いがした。だが詩がある限り、亡くなった人も私たちのそばにいてくれる。

 平本智弘さんの「二度と巡り来なかった幸福」、末国正志さんの「悲しみを」は、子供時代の記憶をさぐり、作品化した。私たちは皆、記憶の地下室を持っている。そこへ下りていくことでその人独自の世界が生まれる。

 詩は自らの中に必ずあると信じて書き続けてほしい。心引かれながらも行数オーバーのために選べなかった作品も多くあった。気を付けてください。来年も楽しみに待っています。(詩人=横浜市)

柳壇

弘兼秀子

反戦やカープ愛託す

 川柳は、日常の一こま一こまを五七五のリズムに乗せ、驚きや怒りさまざまな感情を込める文芸です。それはただの説明や報告であってはなりません。全部言ってしまうのではなく、無駄な言葉は省き、想(おも)いを凝縮させ、余韻を持たせることが大切です。

 日々届くたくさんの投句の選は、それぞれに人生があり、一人一人と向き合える至福の時間となります。掲載される月曜日を本当に楽しみに待っておられる様子、ポストに拝んで投句しても没になった落胆も受け止めています。没にめげず入選句を何度も読んで続いて挑戦してください。

 ことしは被爆70年という節目の年であり、8月は平和を願う祈りの句で埋められました。「人間を叱るかのよう蝉しぐれ 中井耕一」「戦争を知らぬトップの安保法 室伊和江」。大切な人との別れには心が痛みます。「雨の日にひっそり亡夫の傘二本 杉山恒子」「亡夫恋うあの夜と同じ色の月 谷本友」

 思わず笑みの浮かぶ1こま漫画のような句もありました。「押し売りへ妻が後ろに控えてる 野村賢悟」「五郎丸まねて長寿の席楽し 水野美那子」。一番多いのは、カープ命の熱気です。「カープ勝ち家族みんなでハイタッチ 米本奎一」

 柳壇賞はそれぞれ句に奥行きがあり、想(おも)いがしっかりと描かれています。「願掛けの長き階段猛暑の日 桶本藤枝」「見舞客世間の風を紙袋 山根博昭」。社会を人間を見つめ、五七五を楽しんでください。(全日本川柳協会常任幹事=大竹市)

俳壇

木村里風子

感動を正しく伝えて

 戦後70年の節目を意識した句が目立った。70年を俳句でどう後世に伝えられただろうか。振り返ってみると、首をかしげたくなった。

 普段の生活と、自然の営みの中で感動したことを、正しい俳句にして残す努力が伝えることにつながる。広島では、被爆の事実と向き合い、受けた感動を正しく表現し、後世に伝えたい。この作法の連続が正しい伝達だと思う。

 「封印を解き語り部に原爆忌 馬原晨也」があった。広島では消せない句。後世に伝えたいという気持ちが、この句になったのだろう。短詩型の俳句に課せられた伝達法として、自らを自然に見詰めた中からの感動を大切にしたい。(俳人協会広島県支部長)

(2015年12月29日朝刊掲載)

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