×

ニュース

2015びんご 戦後70年 戦争体験継承 若者動く 被爆者組織は2世が会長に 広島

 広島県福山市で13日、ふくやま人権・平和フェスタがあった。「戦後70年、被爆・福山空襲70年」をテーマに、ステージで中高生や大学生たちが発表した。福山海軍航空隊に関する創作朗読劇をした精華中3年前田ほのかさん(15)は「戦争について真剣に考えるようになった。しっかり学び、伝えていきたい」と話した。

高齢化進み解散

 節目の年となったことし、空襲や被爆の体験の継承があらためてクローズアップされ、若い世代が参加するイベントが多かった。

 一方で、戦争体験者は年を重ね、活動は岐路に立った。3月末、福山市原爆被害者の会は役員の高齢化を背景に解散した。解散時の会員は約500人。2月の臨時役員総会では賛否が拮抗(きっこう)し、存続を求める意見も多かった。

 これを受け、4月、県内で初めて被爆2世を会長とする被爆者団体「福山市原爆被害者友の会」が発足した。被爆者や被爆2世に加え、被爆3世も対象とし、会員以外の協力も呼び掛ける方針だ。7月の原爆死没者慰霊碑(同市霞町)の清掃活動には、親子連れや高校生、大学生も参加した。

 空襲被害の実情を伝える資料の掘り起こしも進んだ。

 因島空襲は公式文書でほとんど触れられておらず、被害の全容などは分かっていない。しかし、因島消防署(尾道市因島土生町)に1939年10月~48年3月の土生町警防団日誌が現存し、空襲の警報時刻などが記録されていることが分かった。空襲があった45年7月28日は「本日午前十一時四十五分ヨリ約七分間ニ亘リ因島工場爆撃ヲ受ケ相当損害アリ」と記されていた。

空襲の惨状記す

 因島の捕虜収容所にいた英国人男性が、空襲の惨状を克明につづった日記を福山市の男性に託していたことも判明。戦闘機が爆弾を落とした時の様子や収容所近くの民家で子どもが犠牲になったとの記述などがあった。また、因島南小には、空襲当日の教員日誌が保管されていた。

 広島への原爆投下から2日後の45年8月8日の夜、福山市街地を焦土にした福山空襲。その8日前に米軍が上空からまいた空襲予告ビラが市内の民家で保管されていた。当時、憲兵が回収するなどしたため、現存は珍しいという。寄贈を受けた市人権平和資料館は、企画展で展示した。

 集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法は9月19日、成立した。反対する集会やデモ行進は県東部でも相次いだ。12月にも福山市のJR福山駅前で市民団体が同法廃止を求める集会を開いた。

(2015年12月30日朝刊掲載)

年別アーカイブ