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社説・コラム

社説 被爆70年の終わりに 核廃絶へ仕切り直そう

 「被爆70年」が終わろうとしている。節目の年に核兵器廃絶の道筋を付けることが被爆地の願いだった。しかし現実には、国内外の機運が逆に遠のいた感は否めない。

 一方で被爆者は高齢化し、肉声を聞く機会は減るばかり。私たちの足元でさえ体験の風化が進んでいる。

 諦めてはならない。あの日の原点を見つめ直し、記憶を受け継ぎたい。芽生え始めた継承の取り組みを広げ、次世代へつなぐ責務を胸に刻み直したい。

 ことし被爆地を失望させた最たるものは、5月の核拡散防止条約(NPT)再検討会議決裂だろう。核兵器禁止条約の議論が進むと期待していたからだ。

 待ったをかけたのは米国や英国などの核保有国である。段階的な核軍縮が「唯一の現実的な選択肢」との声明を出し、非保有国ペースの議論の流れを強くけん制した。要するに自分たちに有利な核体制を守りたいのが本音なのだろう。核を持つ国、持たざる国の溝が決定的に深まったことは残念極まりない。

 日本政府のスタンスにも強い疑問を抱く。核保有国と非保有国とをつなぐ「橋渡し役」と称してきたが、内実はどうだったか。今回も米国の核抑止力が安全保障に必要だとして禁止条約に反対した。核兵器廃絶への機運を、被爆国自らがそいだと受け取られても仕方あるまい。

 禁止条約へ積極的に関わる姿勢こそ求められていることを安倍政権は肝に銘じるべきだ。

 そのためにも被爆者運動の役割は重い。ただ各地で岐路を迎えているのは気掛かりである。

 広島県内をはじめ全国で被爆者団体の解散が続く。中国新聞のアンケートでは解散・消滅を危惧する団体が目立った。危機感を強め、活動を支える仕組みづくりを急がねばならない。

 一つの光明は、証言を語り継ぎたいという次世代が手を挙げ始めたことだ。広島市は「被爆体験伝承者」を育て、第1期生が活動を始めた。被爆者の壮絶な記憶は簡単に継げるものではないが、手記や映像に加えて肉声で訴えることの意味は大きい。ほかにも、さまざまな手法で継承への輪を広げたい。

 1年を振り返ると被爆地のもう一つの懸念は平和憲法の理念が揺らいだことだろう。集団的自衛権の行使を容認する安全保障関連法が国会で成立した。

 原爆による廃虚で不戦を誓った被爆者の多くは、憲法9条の下で平和国家が育まれることを望み続けてきたはずだ。日本という国のありようを強引に転換させた政治の動きは見過ごせない。被爆地から今後も関心を寄せ、声を上げ続けたい。

 一ついえるのは被爆70年は確かに節目だが、決して区切りではないことだ。これからが新たなスタートだと気を引き締めるべき時である。

 来年5月には日本で主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)があり、それに先立つ外相会合が広島市で開かれる。核保有国である米国、英国、フランスの現職外相が平和記念公園を初訪問する方針だ。核兵器の非人道性について多くの指導者が知ることが、廃絶への国際機運を再び高める糸口となり得よう。

 被爆地の足元を固めると同時に、世界に向けた発信力を一段と強めていくことが被爆71年への大きな課題となる。

(2015年12月31日朝刊掲載)

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