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社説・コラム

『論』 水木さんと戦争 漫画で体験継承するには

■論説副主幹・岩崎誠

 笑顔の遺影を飾る献花台には、数多くの花束が供えられていた。境港市の「水木しげる記念館」を久々に訪れた。古里が誇り、まちおこしの立役者でもある漫画家が世を去って、もう1カ月になる。

 南方ラバウルの戦場で左腕を失い、妻の布枝さんとの結婚式の日に着けた義手。原稿用紙を左肩で押さえる独特の姿勢ゆえに汗や墨汁が袖口に染みたシャツ。記念館の展示を見るにつけ、93年余りの生きざま自体が壮大な物語だったのだと、しみじみ思う。

 子どもの頃から水木しげるファンである。妖怪をはじめ世の中の不思議に光を当てる漫画に魅せられてきたが、戦争体験を基にした数々の作品群も強く記憶に残る。「死んだ戦友の無念が描かせる」と全身全霊を傾けたものだ。3年前に旅立った中沢啓治さんの「はだしのゲン」などと並び、戦争の実相を体験者が描いた漫画として歴史に刻まれるべきだろう。

 「コミック昭和史」はその集大成ではないか。昭和の終わりから平成の初めにかけて計8巻が書き下ろされた長編漫画である。境港の幼年時代から始まり、戦争を乗り越えて漫画家としての苦難の道を歩む自分史と、綿密な取材に基づいて描く日本の政治・社会史を重ね合わせて激動の時代を追う。異色かつ骨太な手法といえる。

 全編を読み直し、あらためて引き込まれた。日本が戦火の時代にどう向かい、名もなき庶民がどう巻き込まれていくかを等身大で追体験できるからだ。特に力が入るのは戦場の場面である。事あるごとに上官に殴られる水木さん。玉砕で生き残ったのは恥と再び突入を強いられる部隊…。若い命が理不尽に使い捨てにされる様子はリアルそのものだ。マラリアで苦しむ中で爆撃に遭い、死線をさまよう自らの姿も克明に再現する。

 こんな場面にも心動かされる。自分の左腕の傷口から「赤ん坊の匂い」がかすかに漂い、生命力の回復ではと希望を見いだす。当事者しか知り得ない、語り得ないエピソードにほかなるまい。

 その水木さんの死とともに思いを巡らせる。これから現役世代の漫画家が戦争の本質を描くにはどうすればいいかと。頭で考えた絵空事や美化した物語ではなく―。

 遅咲きの女性漫画家おざわゆきさんの意欲作を読み、心強く思った。名古屋空襲を生き抜いた家族を描く少女向け漫画「あとかたの街」である。ことし雑誌連載が完結し、最後の5巻目のコミックスが出たばかり。主人公の12歳の少女は母親がモデルで、その体験談が物語のベースとなっている。

 古里の名古屋の街を母とともに歩き、繰り返し記憶をたどってもらったという。さらに他の体験者たちからも聞き取りを重ね、膨大な資料も読み込んだ熱意は迫真の描写に結実していよう。降り注ぐ焼夷(しょうい)弾に、家が街が焼き尽くされる恐ろしさだけではない。卵があれば大喜びする日々の献立など戦時下の厳しい暮らしや勤労動員の実態なども詳しく描き込む。この作品から戦争の何たるかを初めて知った若者も多いに違いない。

 主に同人誌で活動していたおざわさんが世に知られたのは、父親のシベリア抑留体験を聞き書きした漫画「凍(こお)りの掌(て)」である。その反響を踏まえ、大手出版社の依頼で今度は母の空襲体験を描いた。家族の戦争史といえる二つの作品は戦後70年の節目に、日本漫画家協会賞の大賞に輝いた。漫画界全体として戦争を忘れまいと誓うメッセージなのかもしれない。

 ならば「あとかたの街」の手法からヒントを見いだせるのではないか。おざわさんは肉親からの体験の伝承を作品づくりの軸としたが、それに限るまい。つらい記憶を胸に秘めた人たちと戦争を題材にしたい若き才能が出合い、家族のように思いが一つになれば力強い作品を生み出せるはずだ。

 長崎市の漫画家で平和活動を担う西岡由香さんが、語り部たちの生きざまを描く「被爆マリアの祈り―漫画で読む三人の被爆証言」をことし世に出したのも注目に値する。例えば行政や民間で戦争体験者と漫画家を仲立ちし、出版も含め作品化を支援する取り組みが生まれてもいい。水木さんのいない戦後71年への宿題としたい。

(2015年12月31日朝刊掲載)

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