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社説・コラム

世界遺産のあすを描く 原爆ドーム・厳島神社登録20年 広島

 新しい年がきた。

 中国地方で初めて、原爆ドーム(広島市中区)と厳島神社(廿日市市宮島町)が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録されて20年となる。人類共通の財産として、市民が暮らしの中で、その存在を守り、価値を高めてきた意味をかみしめたい。

 あの日、広島の市民とまちが負った傷を、核兵器の非人道性を、痛々しい姿で告発し続ける原爆ドーム。被爆71年。語り続けてきた被爆者が老いる今、人類の愚かさを知り、核兵器廃絶と世界の恒久平和の実現への思いを新たにする「HIROSHIMA PEACE MEMORIAL」(広島平和記念碑)の役割は増すばかりだ。

 そのドームから直線距離で15キロ余り。瀬戸内海に浮かぶ宮島に立つ厳島神社は、海上に朱塗りの寝殿造りが映える。霊峰弥山の緑とも調和した独特の景観で、日本の悠久の歴史と自然の美しさを世界に誇り続けてきた。

 時代も性質も異なる二つの遺産は、1996年12月6日、ユネスコの世界遺産委員会で同時登録が決まった。

 この20年で、遺産のブランド効果もあり、広島県を訪れる外国人観光客数は登録前の3倍以上となる100万人超に。被爆地のシンボルと大鳥居は、日本を代表する「観光スポット」としても認識されるようになった。

 その半面、世界遺産とともに生きる市民は、保存・継承とのはざまで揺れ続けている。都心や宮島の対岸の開発は、景観問題も生んだ。海外では世界遺産の観光地化で環境が悪化し、登録抹消の恐れがある「危機遺産」となった例もある。

 二つの世界遺産をまちづくりに生かしながら、どう未来へ残すのか。官民の知恵が問われる1年にもなる。(和多正憲)

(2016年1月1日朝刊掲載)

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