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連載・特集

広島躍動 FF40年 平和尊ぶ心を花に託す

 広島市中区の平和大通り一帯で5月3~5日に開かれるひろしまフラワーフェスティバル(FF)は、2016年のことし、第40回の節目を迎える。1977年に始まった祭典は「広島と 世界を結ぶ 花まつり」のキャッチフレーズで人の輪を広げ、平和をうたう春の恒例行事として地域に根を張ってきた。さあ、ことしは、どんな祭りになるのだろう。その前に、祭りの歩みをひもといてみよう。(奥田美奈子)

 被爆後32年、廃虚の中から立ち上がった広島市民は今、心から平和を喜び合う場を得た―。

 1977年5月6日付の中国新聞夕刊は、3日間で125万人を集めた新しい祭りの成功をこう伝えている。地元政財界が中心となり広島祭委員会を発足。国際平和都市にふさわしい、市民総ぐるみの祭典をつくろうとFFは始まった。

 祭りを彩るパレードの第1回には117団体が出場。音楽やダンスを楽しむ市民が練習の成果を披露できる場として定着していった。2002年には高知発の「よさこい鳴子踊り」をヒントに「きんさいYOSAKOI」が始まり、若い世代が一層躍動する祭りへと進化した。

 FFは平和の尊さを花に託してきた。市民が持ち寄った花で会場を飾る「一鉢運動」が80年にスタート。広島城に05年開設された「花と緑のひろば」ではユリ千本の香りが漂った。多彩な取り組みは11年、学校や企業、市民団体が花鉢の栽培を担う「ピースフラワープロジェクト花育」へと結実。15年は約200団体が参加した。

 祭典は時代を映し出す。FFを盛り上げるフラワークイーンは、性差別意識の高まりなどを受け、当初のミス・フラワー、フラワーコンパニオンから呼び名が変遷した。「国際障害者年」の81年には障害者たちによる広場が登場した。

 核兵器廃絶や平和への願いにとどまらない市民の思いも刻まれてきた。東日本大震災や広島土砂災害など受難の年には、復興支援の声が上がった。広島東洋カープの本拠地、マツダスタジアム(広島市南区)の完成に喜びを爆発させる人たちがいた。

 市民の声を受け止めながら成熟したFFは「不惑」を迎える。

紙面編集・岩清水玲子

(2016年1月1日朝刊掲載)

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