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社説・コラム

社説 憲法公布70年 民主主義を鍛え直そう

 幾万の兵征かしめし宇品港知る人ありや釣り人並ぶ 藤岡礼子

 歌人道浦母都子さん(中国歌壇選者)が、1年間の選を振り返る中で挙げた一首だ。あの戦争を身をもって知る人々が、さらに少数派になっていく。そんな時の流れも痛感した戦後70年、ヒロシマにとっては被爆70年が過ぎ、明けて憲法公布70年の年を迎えた。

 だが日本政治は今、その70年の積み重ねを危うくしかねない現実に満ちてはいないか。一つには、「国権の最高機関であって国の唯一の立法機関」と憲法41条に規定される国会の威信低下があろう。

 昨年1年を振り返ると、安全保障関連法を審議中の5月、安倍晋三首相が「早く質問しろよ」と民主党議員にヤジを飛ばした。7月には礒崎陽輔首相補佐官が「9月中旬には審議を終わらせたい」と発言して物議を醸している。

臨時国会応じず

 安保国会の閉会後は、野党が憲法53条の規定に基づいて求めていた臨時国会の召集を、政府・与党は首相の外交日程などを理由にはねつけた。秘密交渉だった環太平洋連携協定(TPP)が大筋合意した直後にもかかわらずである。

 議員活動を大幅に制約しかねない特定秘密保護法の問題もある。憲法62条に基づく国会の国政調査権を侵す、との指摘が野党などから出ているのは見過ごせない。

 その憲法の改正を、安倍首相は宿願としている。7月の参院選の結果次第では、憲法改正発議が可能になるからだ。昨年11月の閉会中審査では自民党の改正草案にもある「緊急事態条項」新設の必要性を繰り返し強調した。大災害や他国による武力攻撃の際、首相の権限を強化することが狙いである。

 緊急事態条項は東日本大震災を機に与野党で議論されるようになり、改憲といっても国会での賛同を得やすいとの読みがあろう。さらに昨年11月のパリ同時多発テロ事件では、民主国家のフランスでも「非常事態宣言」が出された。私たちも、国家の非常時について議論することに異存はない。

権力を縛るもの

 しかし、それは改憲ありきではないはずだ。

 既に災害対策基本法などの個別法があり、必要とあらば、それこそ憲法53条に基づいて内閣が臨時国会を召集し、新たな法律を作ることもできよう。三権分立を揺るがしかねない首相権限の強化より先に、国会をどう機能させるべきか、考えるのが本筋だろう。

 皮肉なことに、多くの憲法学者から違憲と指摘された安保法の議論を経て、私たち主権者は「立憲主義」の意味を再認識した。憲法は人権を保障し国家権力の手を縛るものであることを指す。

 ゆえに憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他公務員」に憲法尊重擁護義務を課している。自民党の改正草案が国民に憲法尊重義務を課していることは、それと真反対だ。となれば本質において、もはや憲法といえるのかどうか、疑念がわく。手を縛られている側が改正を口にするのもいささか怪しい。

 だが、私たちも憲法が公布された70年前の息吹に思いをはせ、民主主義と民主政治を鍛え直すことが必要なのかもしれない。

 政治学者の宇野重規さんは「低成長の時代の民主主義は難しい」とみる。高度成長の時代は成長の果実を国民に再分配して政治や社会を安定させることができるが、低成長の時代はリスクと負担を再分配することになってしまう。

 安倍政権はアベノミクスという手法で成長を演出し、この矛盾を克服しようとする。それもおのずと限界があろう。その次の時代に民主主義は機能するのか、注視していかなければなるまい。

本質を理解する

 社会的立場の弱い人たちが生きにくい日本社会の現実を見据え、憲法13条が定める幸福追求権、25条が定める生存権などを、どう生かしたらいいか、あらためて考えてみよう。「ダイバーシティ(多様性)」という言葉が定着しつつあるように、そうした人たち自身も声を上げようとしている。

 さらに時間をかけて憲法の本質を理解することが肝要だろう。

(2016年1月1日朝刊掲載)

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