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戦争の「傷」 被爆地に学ぶ  国際医学生連盟のサマースクール

■記者 桑島美帆

 「21%は日本の核兵器保有を容認」「62%が『核兵器廃絶は不可能』」-。この夏、広島県内の大学生を対象に実施した、中国地方の大学生らによる調査の結果である。核兵器廃絶という被爆地の願いは、若い人たちに伝わらなくなったのだろうか。8月25日から6日間、「国際医学生連盟(IFMSA)日本」が主催する「広島サマースクール」を取材した。そこで見聞きし、感じたのは、自ら企画し、学ぼうとする医学生たちの前向きな「変化」だった。

 「広島で何が起こったのか。被爆者はどんな後遺症に苦しんでいるのか。将来医療現場に立つ者として、広島で学ぶことがあるはずだ」。1人の日本人医学生の呼びかけで3年前に始まった「広島サマースクール」。

 今年は、モンゴル、インドネシア、スロベニア、スロバキア、アイルランド、台湾の6カ国・地域から来日した外国人医学生8人を含む19歳から30代前半の約40人が参加した。海外組に限らず「ヒロシマをよく知らない」学生が大半だ。

 企画運営を担当した広島大医学部5年村上有佳さん(25)は今治市出身。広島で4年余り暮らし「被爆の実態だけでなく、広島には無数に学ぶことがある」と感じていた。「限られた時間で多くを吸収してほしい」。複数の角度から研修プログラムの内容を練った。

 参加者は平和記念公園の近くに宿泊。原爆資料館(中区)の見学や被爆者証言の聞き取りに加え、放射線影響研究所(南区)や広島大原爆放射線医科学研究所(同)の医師たちから、放射線被害や被爆者治療の基礎知識を学んだ。

 第2次世界大戦中の米国の原爆製造計画「マンハッタン計画」の歴史や、日本軍の医師らが中国人や捕虜に対して非人道的な人体実験を行った「731部隊」を題材に「戦争と医学」の問題にも踏み込んだ。「科学や医療技術の進歩と倫理をどう両立させるか」という問題は、医師である限りずっとつきまとう、と考えたからだ。

 研修5日目の朝。4日間の感想を出し合っていたときだ。スロベニアのリュブリャナ大医学部2年、ティアシャ・フルランさん(20)の目から、突然涙があふれ出た。「4歳の時に、ユーゴスラビア(現セルビア、モンテネグロ)からの独立を求めて10日間の戦争があった。その後、周辺国で紛争が続いた」

 恵まれた家庭に育ったフルランさんにとって、1991年にあった10日間戦争は「過去」であり、「ヒロシマ・ナガサキ」はさらに遠い出来事だった。だが、広島で毎日「戦争と平和」と向き合う中で、忘れていた記憶がよみがえった。

 「顔にケロイドが残った女学生は、戦後ずっと差別に苦しんだ」。研修2日目に聞いた被爆者の寺前妙子さん(78)=安佐南区=の言葉に、独立戦争後、スロベニア国内のセルビア人が目に見えない差別に今も苦しんでいる現実に気付かされた。

 「街の空気は張りつめ、両親もぴりぴりしていた。戦争は突然やってくる。罪の無い人が殺され、友人が敵になり、民族間の相互不信を生む」。戦争を絶対に起こしてはならない、と言い切った。

 鹿児島大医学部2年の生駒尚子さん(25)は普段、インドネシアやフィリピンなど東南アジアからの留学生に囲まれて学生生活を送っている。

 中国の反日感情について話し合ったり、インドネシアの友人から「昔は(インドネシアを占領した)オランダ人と日本人が嫌われていた」と教えられ、日本の戦争責任を考えるようになった。だが、「加害と被害、どちらかだけの視点では語り尽くせないのが戦争だ」と広島で痛感した。

 「『科学と倫理』の問題も扱いたい」。昨秋、村上さんから相談を受けた広島大大学院総合科学研究科の市川浩教授(50)=科学技術史=は、「マンハッタン計画の歴史」や「戦争と医学」という「ヒロシマ」の視点を絡めたテーマ設定を助言し、事前レクチャーにも応じた。

 市川教授は、97年春から「原爆開発の歴史」の授業を担当している。「終戦を早めたのであれば、原爆投下は否定されるべきではない」「戦争が原子力エネルギーの開発につながり、生活レベルを向上させた」と考える学生が多いことに危機感を募らせていた。

 「悲惨さだけを強調したのでは核兵器をめぐる世界の現実が伝わらなくなった」と市川教授。だからこそ、日本も原爆を開発しようとしていた史実や米国の原爆開発に携わった科学者の苦悩、戦時下の非人道的な医学研究に巻き込まれた日本人医師のことについても学ぶよう強調した。

 「原爆は悲惨な『歴史』。それ以上のことを学ぶ必要はないと思う学生は多い」。そう指摘する広島大医学部5年の玉田智子さん(24)は「国籍や育った背景が違っても活発な議論が生まれた」と6日間を振り返る。「いまだに核拡散は止まらず、新たな核兵器開発が進んでいる。でも、私たちが問題提起すれば、悲劇を阻止できるかもしれない」。手応えを感じている。

 6日間にわたる医学生たちの合宿は、「ヒロシマをどう継承するか」という問題への貴重な挑戦であったことは間違いない。

医師の基本 心と体で実感
IPPNW日本支部の片岡勝子事務総長

 広島には原爆の熱線や爆風による人体への直接的な被害や、放射線が現在にいたるまで人体に及ぼしている影響に関する膨大なデータがある。その一方で、放射線障害の最新治療法を含む、被爆者医療のさまざまなノウハウが蓄積されている。被爆者が抱える心の傷をどうケアするかということも重要なテーマだ。

 被爆者治療に携わる医師はどんな思いで被爆者と接してきたのかを直接聞き出したり、「戦争がいかに人権を侵害するか」「核兵器と人類は両立できない」という医師としての基本を心と体で感じることができるのも、広島で医療研修をするメリットだ。

 だが、被爆治療の経験を持つ医師は徐々に他界している。今のうちに経験者を掘り起こし、医学生らが話を聞く機会をつくり、記録を残すことも大切だ。

 1980年に米ソの医師が設立した核戦争防止国際医師会議(IPPNW)は、ソ連のゴルバチョフ元大統領ら核保有国のリーダーに核兵器廃絶を求めた。その後の活動を通して、核兵器の使用を食い止める役割も果たしてきたと自負している。

 医師の発言が社会に与える影響は少なくない。「広島サマースクール」のような機会が増えることで、少しでも多くの学生が広島の地で学んでほしい。

国際医学生連盟
 国連経済社会理事会(ECOSOC)の会員資格をもつ非政府組織(NGO)。「人権と平和」「公衆衛生」「性と生殖・エイズ」など六つの常設委員会がある。1951年に設立された。フランスの世界医師会内に本部を置き、昨年8月現在、105の国と地域に支部がある。日本支部の会員は約500人。

(2008年9月8日朝刊掲載)

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