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ヒロシマ語った録音や書簡寄贈 広島大へ本紙記者遺族 

丸山真男氏の被爆体験証言 大江健三郎さんの67年シンポ

 政治思想史家の丸山真男氏が自らの被爆体験を語った肉声記録や、「ヒロシマを考える」と題して作家大江健三郎さんらが1967年に討議したシンポジウムの録音、関連の書簡類などが、広島大文書館へ寄贈される。中国新聞社記者で取材に当たった林立雄氏(2012年に79歳で死去)が母校での保存を遺族に託していた。同館は「平和学術文庫」で活用を図る。(編集委員・西本雅実)

 丸山氏は東京大教授だった69年8月、入院していた都内の病院で約2時間にわたって取材に応じた。

 45年8月6日、広島市宇品町(南区)の陸軍船舶司令部前で「目の前が、くらむほどの閃光(せんこう)がした」瞬間から、米国側の原爆投下声明を短波ラジオで聞いたことや、9日に市街地を歩いて目撃した「すさまじい光景」などを証言。原爆症を挙げて「広島は毎日起こりつつある現実」と、著作でもほとんど触れなかった被爆体験に基づく考えの一端を述べた。

 また、広島大平和科学研究センターで77年5月に話した「’50年前後の平和問題」の録音や、「広島行の心理的タブーはとれました」と林氏に宛てた書簡も残されていた。しかし、それが丸山氏の最初で最後の広島再訪ともなった。

 シンポは67年7月、平和記念館(現原爆資料館東館)で開かれた。国民的な共感から広がった原水爆禁止運動が党派の主導権争いで分裂が続く中、市民の対話を通じて再生を図ろうと中国新聞社が主催した。

 大江さんは、2年前に刊行した「ヒロシマ・ノート」の取材にも触れて「原爆の悲惨な真実にできるだけ迫ろうとする積極的な態度」を呼び掛けた。さらに被爆者運動にも深くかかわった、広島大の今堀誠二教授や山口大の安部一成教授、東京大の日高六郎教授も講師を務め、問題提起した。発言の一部は紙面で掲載されたが、市民との質疑応答を交えた4時間に及ぶ討議が録音されていた。

 林氏は、交流を持った大江さんの招請に当たり、広島市などが70年に作った記録映画「ヒロシマ・原爆の記録」に寄せた「核時代に、人間であること」の原稿(70年8月3日付朝刊掲載)も残していた。

 広島出身の著名画家や作家の書簡を含む一連の資料は、林氏が自宅に保存。国立国会図書館に勤める長女かおりさんが生前の意思をくんで整理し、広島大文書館への寄贈を申し出た。

「平和文庫」で公開へ

小池聖一・広島大文書館長の話
 ヒロシマの訴えがどのように伝えられてきたのかを知るうえで、散逸しがちな報道関係者の資料を集めて検証することは大事だと思う。林氏が残した貴重な資料は、目録を作り、原爆を体験した大学として設ける「平和学術文庫」で公開を図っていきたい。

(2016年1月5日朝刊掲載)

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