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被爆前の生活…証し続々 広島の原爆資料館発掘調査1ヵ月 土間の跡や溶けた牛乳瓶…

 原爆資料館(広島市中区)の本館敷地の発掘調査が、年内の作業を終えた。開始から約1カ月。国内外の要人や観光客が訪れる平和記念公園の舗装の下から、70年前に原爆で壊滅した旧中島地区の被爆前の暮らしの痕跡が徐々にあらわになっている。(水川恭輔)

 発掘は本館の耐震化工事を前に、市の委託を受けた市文化財団が11月20日に着手。約2200平方メートルの敷地の東側から西側に向かって進めている。荒川正己・主任学芸員は「東側で、被爆時の建物の一部や道の遺構が出てきた」と説明する。

 理髪、牛乳、化粧品などの各店舗兼自宅が並んでいた一角では土間、排水口、トイレなどの跡を確認。店舗部分とみられる十字模様の床もあった。付近では「乳酸菌」「全乳」などと刻印された牛乳瓶が、溶けて変形したり固まったりした状態で出土している。

 建物跡に面した道の遺構は幅約3メートル。縁石、溝、アスファルト舗装からなる。資料館によると、旧中島地区の写真にはアスファルト舗装が写っており、被爆時の姿と考えられるという。

 敷地中央へ発掘が進むにつれ、黒く炭化した木材を次々と確認した。市文化財団は原爆で焼けた木造建物の跡とみて分析を進める。神戸商業大(現神戸大)端(たん)艇(てい)部のメダルも見つかり、持ち主の情報を探している。

 中区の整理作業室には、出土品を収めたかご(横60センチ、縦40センチ)がすでに30個以上ある。発掘調査は1月5日に再開し、3月末まで。荒川主任学芸員は「人が暮らしていた証しを多く見つけ、日々の生活を奪った原爆の悲惨さを浮き彫りにしたい」と話す。

(2015年12月29日朝刊掲載)

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