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社説・コラム

『言』 3・11と戊辰戦争 再びの「棄民」許されぬ

◆歴史作家 星亮一さん

 歴史作家にして現役ジャーナリスト、福島県郡山市の星亮一さん(80)は東北を代表する文化人の一人だ。148年前、戊辰戦争で新政府軍に敗れた会津藩に光を当てた多くの著作のほか福島第1原発事故に関する執筆活動を続ける。「朝敵」と断罪された会津の悲劇と、古里を追われた被災者が重なるという。3・11から間もなく5年。復興への辛口の直言もためらわない論客に思いを聞いた。(論説副主幹・岩崎誠、写真も)

  ―事故現場近くにも、すぐ取材に行ったそうですね。
 国会議員に同行し、何とか入れました。地震のため道路はぐしゃぐしゃで米国の映画を見るような無人の街。浪江町の役場では車や自転車が乱雑に放置され、慌てふためいて逃げた様子が分かるんです。主人が帰ってきたと思ったか、飼い犬たちが寄ってきたのがふびんでした。あちこち避難所も訪ねましたが被災者が今日の社会では考えられないひどい状況に置かれたことを忘れてはなりません。

  ―5年近くたって帰還は思うように進んでいません。
 復旧・復興のビジョンが欠けていましたね。私自身は早い段階から戻れる場所と戻れない場所があるのではと発言してきました。特に原発のある大熊町や双葉町などは帰還を断念し、外にニュータウンをつくったら、と。しかし国も自治体も家や田畑もあるところに再び暮らすことを前提に5年、10年の計画をつくってきたんです。

  ―現実的ではなかった、と。
 少なくとも事故現場の周辺は普通の生活を取り戻す条件が、簡単に整備できるわけはない。国は「帰還困難区域」と言いますが「帰還できない区域」と位置付けたほうがいい。あいまいにせず、はっきり区分けして復興に当たらないと…。幻想を抱かせるような政治は良くない。

  ―双葉、大熊両町に建設される除染廃棄物の中間貯蔵施設が象徴的かもしれません。
 30年後の返還が前提ですが、まやかしです。ほかに持って行けるわけもなく永久的な設置となるでしょう。確かに老人などは墓の近くで死にたいと思っていますが、若い世代の多くは戻らずに生活を立て直そうと割り切っています。政府は時間をかけ、戻りたいという世帯が消えるのを待っている気がします。

  ―明治新政府の会津藩への厳しい処分をほうふつとさせる、というわけですね。
 長州の木戸孝允が主導した戦後処理で下北半島(青森県)の斗南(となみ)に藩ごと罪人として流されました。取材に行くと悲惨な話が残っているんです。原発事故直後の被災者のように住む家も食べるものもない。寒い冬もわらの中で寝る生活を強いられました。まさに棄民です。子どもも賊軍として石をぶつけられるなど人道主義に反していたのは明らかです。勝てば官軍、力で人を征服できるという新政府の発想の延長線上に、のちの中国や韓国に対する扱いもあったのではないでしょうか。

  ―重い指摘です。
 今の被災者を「第二の斗南」としてはなりません。安倍晋三首相は長州人です。実は第1次政権の時には会津若松市に選挙の街頭演説に来て「ご迷惑をおかけした」と発言したことがあり、過去を気にしているはずです。明治維新を検証して朝敵として蔑視した歴史を誤りだと認めるとともに、福島県の復興のためにもっと力を入れれば、会津と長州の和解にもつながるのではないでしょうか。

  ―具体的な方法は。
 未来への礎は教育です。私は研究大学院大学の設立を提唱しています。理系文系を問わず世界から研究者を集め、福島の廃炉現場ともリンクして未来の人類のエネルギーをどうするか考える。世界文明のありようと平和を発信する。その拠点になるでしょう。自然環境に恵まれた猪苗代湖のほとりにキャンパスを構え、貧しさの中から世界的研究者となった郷土の偉人、野口英世の名を冠せば、彼が貢献した米ロックフェラー財団とも連携できるかもしれません。この構想への賛同はまだ広がっていませんが、基地の島の振興のため開学した沖縄科学技術大学院大学の例もあります。巨額の復興予算全体を考えれば決して不可能ではない。福島発の大きな夢となり得るはずです。

ほし・りょういち
 仙台市生まれ。東北大文学部卒。福島民報記者時代から「会津若松史」の編さんに参加。1970年に福島中央テレビに移籍、報道制作局長などを経て歴史作家に。「会津藩燃ゆ」「会津藩流罪」「東北は負けない」「長州の刺客」など著書130冊以上。長州との和解問題にも取り組む。フクシマ未来研究所を主宰し、昨年には復興論集「フクシマ発」を出版した。

(2016年1月6日朝刊掲載)

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