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連載・特集

人文学の挑戦 <1> 「原爆」を起点に 議論し連帯 世界捉える

 文学、哲学、歴史学など、人間文化を研究対象とする人文学。今、その意義が問い直されている。昨年6月、文部科学省が全国の国立大に組織や業務の見直しを求めた通知が、大学内外に波紋を広げた。18歳人口の減少などを理由に、特に教員養成系と人文社会科学系の学部・大学院に対して「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換」を求め、文系軽視と受け取れる内容だったからだ。

 早急に「役に立つ」ことを求めれば、人文学の旗色はとりわけ悪いかもしれない。しかし、多様な文化を受け入れたり、金銭で測れない価値を見いだしたり、今の時代にふさわしい知も、そこにあるのではないか。未来に向けて人文学の可能性を開く挑戦を、中国地方の研究者や大学をはじめ、さまざまな人と場を通じて追ってみたい。(道面雅量)

 昨年12月中旬、福岡市の九州大・西新プラザに、文学、映画、美術など多分野にわたる研究者や作家が「原爆」をキーワードに集まった。設立15年目を迎えた原爆文学研究会が、第49回例会を兼ねて開いた初の国際会議「核・原爆と表象/文学」だ。

 「原爆文学という狭い間口を通して、世界はどう見えるのか。現在の問題として議論したい」。研究会員の川口隆行・広島大大学院准教授は開会の辞で、約70人の参加者に呼び掛けた。

 報告者の一人、斎藤一・筑波大大学院准教授が「核時代の英米文学者」のテーマで取り上げたのは、米国人作家ハーマン・ハゲドーン(1882~1964年)の叙事詩「アメリカに落ちた爆弾」。1946年に発表され、50年に入江直祐・法政大教授による邦訳が出たこの長編の詩は、原爆投下が米国人を含む人間の「本質的に大切なものを溶かし去った」と倫理面から告発し、「広島に落ちた爆弾はアメリカにも落ちたのだ」とつづる。

 戦後間もない時期に米国人が激しい表現で原爆投下を自己批判しているのには驚かされるが、一方で斎藤さんは、この詩が日本にどう紹介されたかにも注意を促す。当時、連合国軍総司令部(GHQ)の翻訳許可を受けた出版物で「アメリカ戦後文学の最も注目すべきもの」などと評され、普及を後押しされているのだ。

政治との関係 示唆

 米国人の良心を強調し、反感をそらす「ガス抜きという感じはする」と斎藤さん。「社会ではなく精神の変革を抽象的に唱え、詩としては面白くない」

 今ではほとんど言及されることのない作品に、あらためて批評の光を当てた報告。文学と政治の関係をめぐる示唆にも富み、質疑応答は活気づいた。

 会議の特別講演は、海を舞台にした独特の小説世界で知られるシャマン・ラポガンさん(58)が務めた。台湾南東部の離島、蘭嶼(らんしょ)に生まれ育った先住民の作家。この場に招かれたのは、台湾政府と電力会社が古里の島に持ち込んだ核廃棄物貯蔵所の撤去を求める、反核運動も率いてきたからだ。

 「廃棄物の持ち込みは、われわれマイノリティー民族への抑圧。だが、われわれの言葉には核問題を理解するための語彙(ごい)すらない」。反核運動を「悪霊駆除運動」の名で広めた体験などを語り、参加者に強い印象を刻んだ。

 原爆文学研究会は2001年、九州大教授だった故花田俊典さんの呼び掛けで生まれた。現在、海外を含め約70人の会員がいる。

不断の現在の産物

 原爆文学というと、峠三吉や栗原貞子、原民喜、大田洋子らの被爆体験を描いた歴史的作品が思い浮かぶが、花田さんによる発足の辞は「文学の場における『原爆』の光景は、不断の現在の産物といっていい」と、広い視野で今の問題に向き合う決意をつづる。初の国際会議にラポガンさんを迎えたのは象徴的だ。

 川口さんによると、福島第1原発事故の後、「核時代文学研究会」などへの改称も論議された。しかし、「看板の掛け替えだけで、さまざまな核被害者と連帯した気になってはいけない」と見送ったという。

 ラポガンさんは講演の最後、蘭嶼島に伝わる「海の歌」を先住民の言葉で歌った。「広島、長崎の原爆犠牲者にささげたい」と、連帯の願いを込めて声を響かせた。

 会議ではこのほか、米オバリン大のアン・シェリフ教授がベトナム戦争期の反戦、反核、公民権運動の日米連携について報告するなど、文学の枠も超えて議論を深めた。

 「世界を認識する方法の一つとして核の問題を立てていく」と、研究会の代表世話人を務める長野秀樹・長崎純心大教授。人文学の広大な可能性を見据え、仲間と歩む。

 <メモ>文科省通知は昨年6月、下村博文文科相(当時)の名で全86校の国立大に出された。国立大は6年ごとに「中期計画」を国に出す決まりで、2016年度から新計画となるのに合わせた通知だった。山口大や島根大が加盟する国立大学法人17大学人文系学部長会議のほか、日本学術会議の幹事会、経団連、日本出版者協議会なども反対や懸念を表明、波紋が広がった。

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インタビュー

山口大人文学部 根ヶ山徹 学部長

多様な英知を発見・創造

 文科省通知に対し、国立の17大学の人文系学部長会議は「人文社会科学の軽視は、わが国の人的基盤を揺るがしかねない」と抗議する共同声明を出している(昨年10月)。人文学の意義などについて、声明に名を連ねた山口大人文学部の根ヶ山徹学部長に聞いた。

 ―声明にどんな思いを込めたのでしょうか。
 通知は「社会的要請の高い分野への転換」を求めているが、社会的要請とは何かが問題だ。新卒時の就職率が指標になるとすれば心外。通知をめぐってはネット上などで「文学部ではシェークスピアを学ぶより、観光案内用の英語を鍛えよ」といった議論もあった。ある意味で社会的要請に応え、就職にプラスかもしれないが、乱暴な意見と思う。

 ―人文学には別の役割があるということでしょうか。
 流ちょうなガイド以前に、例えば瑠璃光寺の五重塔や中原中也の詩があってこそ山口の観光が成り立つ。それらの美を理解し、新たな美を生み出す力を育てる役割の方が、むしろ重大ではないか。通知には、人文学が育む人間的な魅力に対する認識不足を感じた。

 ―中国文学を教えておられ、専門は「中国の古典劇」ですね。
 明代の歌劇「牡丹亭還魂記」を中心に、原作者の湯顕祖(とうけんそ)や伝存する脚本を研究してきた。原作が各地の各階層に広まってゆく過程でどう改編されたかを明らかにするため、北京の中国国家図書館などで数多くの脚本を手にした。

 原作者は「俳優ののどをねじ切っても構わない」と歌詞の内容重視を主導したが、メロディーを重んじる異本も存在する。社会的要請に応える研究かと問われれば、自分の好きな研究をやってきたと言うしかないが、昨年、中国で研究書を出版できた。

 ―極めて専門的ですが、芸術家の情熱の在り方といった普遍的なテーマにもつながるのでは。
 専門を深めることで普遍にたどり着くことに、研究の意義や面白さはあるのではないか。人文学に限らず、一見「役に立たない」ことの追究が大きな実りをもたらすこともある。

 ―山口大は2016年度から人文学部を改組しますね。
 文科省の通知以前から改組を検討していた。人文社会と言語文化の2学科を人文学科1学科にし、垣根を外した中で専門を深めてもらう狙い。人間の多様な英知を発見し、創造する人文学の力を引き出したい。

ねがやま・とおる
 1960年下関市生まれ。山口大、九州大大学院で学び、95年に北京大に留学。広島女子大(現県立広島大)助教授を経て97年に山口大助教授。06年に教授、12年から人文学部長。

(2016年1月7日朝刊掲載)

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