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社説・コラム

『書評』 話題の1冊 ゲゲゲのゲーテ 水木しげる著、水木プロダクション編 硬軟両面 先人との対話

 昨年11月末、93歳で亡くなった境港市出身の漫画家水木しげるさん。天性の楽天家であることを感じさせるひょうひょうとした生き方とは裏腹に、若き日の水木さんは「生と死」を真剣に見つめていた。戦場という極限状態でも携行し続けた本「ゲーテとの対話」(エッカーマン著)から、93の言葉を選び、解説を加えた。

 1冊1円の「円本」が流行し、出版文化が花開いた昭和初期に青年期を過ごした水木さん。文庫本に傍線を引き、ドイツの文豪ゲーテの言葉を心に留めた。「大事なことは、すぐれた意思をもっているかどうか、そしてそれを成就するだけの技能と忍耐力をもっているかどうかだよ」。実直さに心を打たれる水木青年の人柄がうかがえる。

 ゲーテの言葉には硬軟両面の味がある。「われわれはただ(中略)黙々と正しい道を歩み続け、他人は他人で勝手に歩かせておこう。それが一番いいことさ」。「私がすすめたいのは、けっして無理をしないことだ。生産的でない日や時間にはいつでも、むしろ雑談をするなり、居眠りでもしていたほうがいいよ」…。さっきまで「意思」や「忍耐力」を力説していたじゃないの、と言いたくなるが、この振り幅こそ、水木さんが「ひとまわり人間が大きい」と感服するゲーテの魅力なのだ。

 水木さんが戦地に赴く前年、20歳のころに書き残した手記が昨年、見つかった。「毎日五萬も十萬も戦死する時代だ。芸術が何(な)んだ哲学が何んだ。今は考へる事すらゆるされない時代だ。画家だろうと哲学者だろうと文学者だろうと労働者だろうと、土色一色にぬられて死場へ送られる時代だ」。左腕を失いながら南方から生還した水木さんが感服したゲーテの言葉を戦後71年の今、かみしめる。ぎすぎすした現代を生きる私たちに向けた「水木しげるとの対話」にも思える。(石川昌義)(双葉新書・896円)

(2016年1月10日朝刊掲載)

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