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被爆地の思い どう反映 米政府 原爆開発施設の国立公園指定 整備具体化 数年内が鍵

 米国政府が昨年11月、第2次世界大戦中に原爆を開発した「マンハッタン計画」の遺構などを国立歴史公園に指定した。原爆投下が戦争を終結させたとする世論が根強い米国。被爆者の声をどれだけ伝える場になるのか―。懸念の中、整備の具体案づくりが動きだした。(金崎由美)

 指定に合わせ、所管する米内務省は非公開の専門家フォーラムをワシントンで開催。米国の歴史研究者ら19人に加え、広島平和文化センター(広島市中区)の小溝泰義理事長と日赤長崎原爆病院(長崎市)の朝長万左男名誉院長を招いた。

 科学、技術、産業、政治など多角的視点から原爆開発の意味を議論、公園の位置付けや扱うべき要素を整理。整備の参考にする。

肯定論と地続き

 朝長さんは、原爆使用の非人道的な結果や長期的な健康への影響などを盛り込むよう求めたという。小溝さんは「被爆者は復讐(ふくしゅう)心を持っているのではない」とし、核兵器廃絶への願いを代弁。「むごたらしい兵器に頼らない安全保障と人道的な世界の追求を訴える場にしてほしい」と述べた。

 「顔ぶれは多様だった。被爆地の意見を聞こうとする姿勢は一歩前進」と小溝さん。一方、米側に働き掛けを続ける必要性も痛感した。「議論が『ドイツや日本も原爆開発を計画しながら、なぜ米国だけできたのか』に終始しがちだった」

 原爆開発は米国にとって科学技術の金字塔だ。「対日戦勝利をもたらした栄光の歴史として伝えようという露骨な主張は聞かれなかった。だが、科学技術への自負を感じさせる発言はあった」と朝長さん。科学の礼賛は結局、原爆使用の肯定論と地続きに見える。

「フェアを問う」

 米内務省の国立公園局はことし、公園の歴史的な位置付けなどを記した「基本文書」を作成する。今後、国民の意見も公募するという。

 1990年代には、原爆をめぐり激しい論争が起きた。ワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館が広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機体の一部を復元。博物館側は被爆者の遺品も同時に展示しようとしたが、太平洋戦争に従軍した退役軍人らが猛反発、頓挫した。

 先住民の迫害や奴隷制、第2次世界大戦中の日系人強制収容など、負の歴史も伝えるのが米国の国立歴史公園だとされる。とはいえ「国策の尊い犠牲となった自国民に報いる」という愛国的な発想と紙一重でもある。今後数年間が肝心だ。

 核をめぐる日米関係史に詳しい米ジョージタウン大の樋口敏広助教(科学史)は「公園の位置付けが保守派の主張に押されるのは避けられない」と見る。「訪問者が多様な意見に触れ自ら考える場とするには、どんな材料を提示するかが課題。だからこそ被爆地の意見を発信し続けるべきだ。米国の理想である民主主義の精神として『フェアであること』を問い掛けるのも必要だ」と指摘している。

マンハッタン計画と国立歴史公園
 米国が第2次世界大戦中に極秘で進めた原爆開発計画。中心拠点のニューメキシコ州ロスアラモス、広島原爆の高濃縮ウランを製造したテネシー州オークリッジ、長崎原爆のプルトニウムを製造したワシントン州ハンフォードの3地域の関連施設とその周辺が昨年11月10日、国立歴史公園に指定された。内務省のジュエル長官は、被爆地に配慮し、偏りのない公園整備を進める考えを示した。一方、観光開発としての地域の期待も大きい。

(2016年1月11日朝刊掲載)

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