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連載・特集

緑地帯 深作欣二とその周辺 一坂太郎 <2>

 1930(昭和5)年生まれの映画監督の深作欣二は終生「反骨の人」で、そこが最大の魅力だった。60歳を過ぎて撮った「いつかギラギラする日」(92年)では、木村一八ふんするチンピラが絶命直前、駆け寄って来た若い警察官に向かい、「お前さ…まだ二十歳(ハタチ)やそこらで…そんな制服(カッコ)して恥ずかしくねェのか…ロックしろよ、ロック」とつぶやく。当時20代の僕は、制服で偉そうに振る舞う格好悪い男にはなるまいと、心に誓った。

 続く「忠臣蔵外伝 四谷怪談」(94年)では討ち入り前、思わず生への執着を漏らす大石内蔵助(津川雅彦)に共感。「偉人」「英雄」の見方を、教えられた気がした。この作品などで97年、深作監督に紫綬褒章が贈られた。

 「おもちゃ」(99年)は京都花街の女たちの物語だが、年相応に途端に丸くなった印象で、毒気も乏しい。さらに自民党の大物議員が、深夜のテレビニュースにゲスト出演し、本年一番良かった映画に「おもちゃ」を挙げた時は、「深作も、国から賞をもらったからなあ」とちょっと失望した。

 ところが、そんな危惧は次の「バトル・ロワイアル」(2000年)で一気に吹っ飛ぶ。国家が中学3年生に、お互いを殺し合うよう命じるという過激な物語。国会議員からもクレームが付くなど、物議を醸すことになる。だが、深作は譲らなかった。「荒唐無稽」との非難に対し、自分は15の時、国から戦争に行って人を殺せと言われたと反論。さすがは、戦争で青春を台なしにされた昭和一桁世代だ。ますますファンになったことは言うまでもない。(萩博物館特別学芸員=下関市)

(2016年1月7日朝刊掲載)

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