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連載・特集

緑地帯 深作欣二とその周辺 一坂太郎 <3>

 戦後の広島を舞台にした深作欣二監督のやくざ映画「仁義なき戦い」は、1973(昭和48)年から74年にかけ、全5部が作られた。その一挙上映を見たのは、14歳だった81(昭和56)年のこと。場所は神戸市の神戸東映。ただただ圧倒された。

 まず、驚かされたのは、登場人物の誰が善か、悪か、何が正義なのか分からない点だ。それまで僕が見てきたのは、人生の美しさを謳歌(おうか)したり、正義は必ず勝つといったメッセージが込められたような作品が大半だった。ところが「仁義なき戦い」には、そんな視点がほとんどない。

 主人公の広能(菅原文太)も最初は純粋、単純なヒーローっぽく描かれる。ところが煮え湯を飲まされて成長するや、権謀術数を駆使し、親分の山守(金子信雄)を失脚させようと画策。強い権力を利用するが、仲間と思っていた武田(小林旭)に裏切られ、どんでん返しを食らう。組織から追放される広能に向かい、武田が言う。「組があってのわしらじゃけんのう、こんなみたいなモンには、出てって貰(もら)うしかないんじゃ」

 悪辣(あくらつ)な親分に逆らう広能にも正義があり、武田にも組織人としての正義がある。当時の僕は、これから出てゆく社会がどんなものかを、この映画から学んだ気がする。しかし、実際社会に出てみたら、描かれた広島やくざ抗争より、もっと理不尽なことが多いことに驚かされたりもしたが…。近年、何でも単純に二極化したがる社会の傾向が指摘されるが、そこに僕が違和感を覚えることができるのは、「仁義なき戦い」のおかげだ。(萩博物館特別学芸員=下関市)

(2016年1月8日朝刊掲載)

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