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連載・特集

緑地帯 深作欣二とその周辺 一坂太郎 <4>

 広島やくざ抗争史を描く深作欣二監督の映画「仁義なき戦い」5部作の第1部は、1973(昭和48)年1月の初公開時から絶賛された。同年の「キネマ旬報」邦画ベストテンでは2位に選出。それまで暴力映画とは無縁の権威ある賞も、いくつか受ける。

 これに対し、一部の「良心的」評論家は憤慨し、激しく非難した。作品の出来うんぬんではなく、こうした荒っぽい映画を生み出し、もてはやす世相への、悲しみにも似た抗議だったような気がする。

 確か、「仁義なき戦い」を見た男子高校生グループが、興奮覚めやらぬまま、神戸の繁華街で別の男子高校生に肩が当たったと言い掛かりをつけ、殴り殺したといった事件があった。当時小学校1年生の僕はそれを新聞で知り、衝撃を受けたことを覚えている。

 また、79(昭和54)年1月、大阪の銀行に猟銃を持ち立てこもった犯人の、帽子にサングラススタイルは、第2部「広島死闘篇(へん)」で千葉真一扮(ふん)する愚連隊のボスそっくりだ。任侠映画の観客が「健さん」気分で、肩で風を切り劇場を出たというが、それ以上に「仁義なき戦い」は強い刺激の「毒」を含む映画だ。当時の若者に与えた「悪影響」も忘れてはならない。

 だが、40年後の今日、「仁義なき戦い」は「名作」という評価のみが残った。この間に社会が成熟したなんて言うと、うそくさい。若者が牙を抜かれ、去勢され、「毒」から刺激を受けなくなったのだと僕は思う。もろ刃の刃(やいば)だからこそ、「仁義なき戦い」は面白い。「毒」が非難されない時代もまた、なんだか恐ろしいのだ。(萩博物館特別学芸員=下関市)

(2016年1月9日朝刊掲載)

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