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連載・特集

緑地帯 深作欣二とその周辺 一坂太郎 <6>

 一昨年、相次ぎ亡くなった俳優の高倉健と菅原文太は、かつて「健さん」「文太兄(あに)イ」と呼ばれ、特に若い男性から慕われていた。男のための男の「アイドル」というのが、大きな意味を持つ。

 全共闘世代は「健さん」の任侠映画に熱狂したという。続く「文太兄イ」は銀幕の中で派手に飾ったトラックを疾走させ、パトカーをけむに巻いた。そして、1980(昭和55)年、NHK大河ドラマ「獅子の時代」に主演。逆境に身を置きながら、明治新政府に抵抗し続ける会津出身の男を、荒々しくも繊細に演じた。それらを僕らは、夢中になり追った。

 理不尽な強い力には決して屈せず、自分の信念を貫く。腕っぷしは強いが、実は社会的には弱者。しかし、さらなる弱者を守ろうと卑劣な敵と戦う。そんな生き方は現実的には難しくとも、男の子たちにとって憧れの理想像だったのだ。「文太兄イ」の役割は、やがて若手の「松田優作」に移る。

 ところが、89(平成元)年に松田優作が40歳で亡くなるや「男」の理想像が失われた。時はバブルの絶頂期。残ったのはCMでの「健さん」の「不器用ですから」の一言であり、理想像は単なる世渡り下手な「男」に一変した。

 ただ、以上の3人は実生活でも「男」らしさを貫き亡くなったから、単なる「偶像」ではなかったのだろう。しかし、その次が出てこない。現代の男の子にとり、かつての「健さん」「文太兄イ」「松田優作」に匹敵するのは、誰だろう。どうも思い当たらないのだが、それが「この国」にとり、大きな不幸の始まりである気がしてならぬ。(萩博物館特別学芸員=下関市)

(2016年1月13日朝刊掲載)

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