寄稿・元慰安婦写真展訴訟と表現の自由 永田浩三
16年1月14日
展示拒否に勝訴 画期的 安易な自粛・忖度に戒め
名古屋市在住の韓国人写真家、安世鴻(アン・セホン)さんがカメラメーカーのニコンを相手に闘った裁判は8日、同社が控訴を断念し、安さんの勝訴で幕を閉じた。
新宿ニコンサロン(東京)で写真展が突然中止になったのは、2012年5月のこと。ニコンは、安さんが写真を通じて政治的な活動をしようとしたことが問題であり、自分たちは営利企業で右翼の攻撃を受けた被害者だと居直った。
安さんが撮った写真は、戦時中に日本軍の「慰安婦」として人生を狂わされた女性たち。ニコンサロンは選考委員会で、安さんの作品を選定し、東京と大阪で写真展を開くと約束したにもかかわらず、在日外国人への悪質なヘイトスピーチを繰り返す「在日特権を許さない市民の会」(在特会)のインターネットを通じた抗議からわずか1日で中止を決めたのだった。
安さんは13年12月、ニコンの対応を問題視して提訴した。昨年12月25日の判決で、東京地裁の谷口園恵裁判長は、抗議や非難を理由に中止を決めたというニコンの主張について「関係者に危害が加えられる現実の危険が生じていたとは認められない」と指摘。「会場の使用を一方的に中止すれば、安さんは表現活動の機会を失われることになる。ニコンは安さんと協議し、警察に協力を求めるなどの努力を尽くすべきだった」との判断を下した。政治活動だという批判も否定。同社の不法行為を認定し、110万円の賠償を命じた。
裁判で争われたのは、表現の自由の確保の問題だった。
3年前、写真展が中止されると聞いた時、私は勤務先の近くにあるギャラリーで、市民の手による安さんの写真展を開いた。写真が見られないことは撮影者の表現の自由が侵害されるだけでなく、見ようとする受け手の自由、さらには勇気を持って協力してくれた被害女性たちの尊厳も損なわれると思ったからだ。
写真展は反響を呼び、続編も開催され、15年1月の「表現の不自由展」開催につながっていった。安さんだけでなく、さまざまな人たちが表現の場を追われ、奪われていることを知ったからだ。「表現の不自由展」には、さいたま市の公民館が月報への掲載を拒否した「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の俳句や、東京都美術館から撤去された「ソウルの日本大使館前の少女像」の原型などを集めた。
それらの作品が被った事件に共通するのは、抗議を過剰に受け止めたり、予想したりするだけで、発表の場をなくしてしまう主催者の側の自粛や忖度(そんたく)だ。私たちも確かに、攻撃にさらされはしたが、市民が知恵を出し助け合うことで乗り切ることができた。表現をなりわいとするプロが簡単に城を明け渡していいはずはない。
民間施設の使用拒否についてのこれまでの判例としては、プリンスホテルが07年、日教組に対して会場の使用を拒否した問題で、東京地裁と東京高裁が使用を命じる仮処分を決定した。その後、ホテルは使用拒否を続けたため、東京高裁は10年11月、1億2千万円という高額な賠償を同社に命じた。
旅館業法に宿泊拒否禁止が明記されていることに比べ、ニコン裁判では展示拒否をめぐる判断が注目された。今回の判決は表現の自由という土俵で考えようとした画期的なものだ。
判決には、たとえ民間の施設であっても、むやみに使用拒否をしてはならないというメッセージが込められている。ニコンサロンは表現の自由の担い手としての覚悟を持て、と言っているのだ。この見識ある判断を、表現に関わる多くの人に噛み締めてほしい。(武蔵大教授、ジャーナリスト)
(2016年1月14日朝刊掲載)