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社説・コラム

元慰安婦 20年前の肉声 「〝記憶〟と生きる」 広島などで上映中 

集団でなく個々人に焦点

 昨年末、日韓外相会談で「最終解決」が合意された従軍慰安婦問題。現在、広島市などで公開中の映画「〝記憶〟と生きる」は、約20年前にさかのぼって元「慰安婦」の肉声に触れ、この問題を再考できる貴重な記録だ。「元慰安婦という集団ではなく、顔のある個々人に映像を通じて出会ってほしい」。撮影、編集も担った土井敏邦監督(63)=横浜市=は願う。(道面雅量)

 映画は、韓国人元慰安婦たちが共同生活したソウル市内(後に郊外へ移転)の「ナヌム(分かち合い)の家」で、1994~97年に取材した映像を編集。2部構成、計3時間半の長編だ。

 土井監督は近所の学生用下宿を借り、一人一人と少しずつ信頼関係を築いては映像を撮りためた。登場する6人は既に全員亡くなっている。「彼女たちの存在をとどめたい思いで、これ以上は短く編集できなかった」。過去を振り返る言葉を刻み込みつつ、ナヌムの家での日常を描く。

 互いにいたわり合い、時に口論し、酔えば手に手を取って踊る姿。「やかましい」などの怒声に限って日本語になるシーンに、はっとさせられる。

■被爆者の意受け

 富山県の軍需工場から脱走して捕まり、慰安所に送られたと証言する姜徳景(カン・ドクキョン)さんは、第2部で詳しく描かれる。終戦直後、人に教えられて自分の妊娠に気付き、産んだ子は手放さざるを得なかったという。映画のタイトルにある「記憶」は、日本の敗戦で解放された後の辛酸も含んでいる。

 土井監督は、パレスチナ紛争の取材で知られるジャーナリスト。佐賀県出身で広島大で学んだ。元慰安婦の取材に向かったきっかけは、学生時代から交流の深かった広島の被爆者、富永初子さん(2002年に90歳で死去)の思いに応えるためだったという。

 「日本の戦争加害にも目を向け続けた富永さんが、彼女たちに会いたいと言いだした。海外渡航は主治医に止められていたので、私が代わりに会って映像を届けようとした」

■橋下発言が契機

 実際に足を運ぶと、心を突き動かされて長期の取材に。発表は一部をテレビ番組に提供しただけだったが、13年5月に橋下徹大阪市長(当時)が「慰安婦制度は必要だった」と発言したことが、映画製作に踏み切らせた。「眠らせるべきではない、一人一人の顔と声を届けないといけないと思った」

 約20年ぶりによみがえった肉声には、当時、新設されたアジア女性基金による「償い金」をめぐる会話も。姜さんは「過去のことを歴史に残さないようにするためだ」「お金で済むのならとっくに解決しているよ」と仲間にこぼす。

 今回の日韓合意は「最終的かつ不可逆的な解決」をうたったが、「確かに存在した彼女たちを忘れてもいい、ということではないはずだ」と土井監督。忘れないための実践として本作がある。

 映画は昨年のキネマ旬報ベスト・テンで文化映画の4位に入った。広島市西区の横川シネマで21日まで上映されている。

(2016年1月15日朝刊掲載)

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