×

社説・コラム

社説 両陛下フィリピン訪問 戦争の記憶 刻む節目に

 天皇、皇后両陛下は、日本との国交正常化60周年を迎えたフィリピンを歴代天皇として初めて訪問された。

 太平洋戦争の激戦地に足を運び、全ての戦没者を慰霊したいという陛下の思いがそこにはある。憲法に平和主義を掲げてきた戦後の日本にとっても一つの節目であり、両国の絆がさらに強まることを切に願いたい。

 両陛下のフィリピン訪問は、昨年6月にベニグノ・アキノ大統領を迎えた宮中晩さん会で大統領から招請を受けたことに始まる。陛下はその席上「先の大戦においては、日米間の熾烈(しれつ)な戦闘が貴国の国内で行われ、この戦いにより、多くの貴国民の命が失われました」と述べた。

 戦争への言及はフィリピンの歴代大統領を迎えた過去2回の晩さん会にはなく、戦後70年の節目に「日本人は忘れてはならない」という強い意志が伝わるものだった。

 歳月とともに風化する戦争の記憶をどう共有し、引き継いでいくのか。それは私たちの責務ともいえよう。

 かつてフィリピンは「大東亜共栄圏」を掲げて南進政策を取った旧日本軍にとって米軍との主戦場であり、51万8千人にのぼる犠牲者を出している。一方でフィリピンにとっては国土が破壊し尽くされた戦争であり、同国政府の推計で111万人の国民の命が失われた。

 今回の訪問に先立つ陛下のおことばには「膨大な数に及ぶ無辜(むこ)のフィリピン人市民が犠牲になりました」とある。1945年2月から3月にかけて日本占領下の首都マニラが市街戦の舞台となり、10万人もの民間人を巻き添えにしたことを指す。

 このように近代戦は民間人を際限なく巻き込み、ついには広島、長崎という都市が核で無差別に攻撃される悲劇を引き起こした。二度と繰り返してはならないし、とりわけ加害の側は負の歴史を忘れてはなるまい。

 フィリピンの戦後は苦難の道をたどった。だがキリノ大統領(当時)は戦犯に問われた日本軍将兵108人に恩赦を行い、帰国させた。国交のない時代の大統領の英断が、今の両国関係の礎を築いたといえよう。

 フィリピンにとって今の日本は最大の貿易相手国であり、援助国である。約20万人の自国民が日本で暮らし、送金の経済効果は大きい。反日感情が好転した親日国といえるが、日本人はそれに甘えるだけでいいのだろうか。この機をとらえて戦後の両国関係に思いをはせたい。

 フィリピン南部ミンダナオ島では、政府と武装勢力モロ・イスラム解放戦線(MILF)の間で紛争が続いていたが、包括和平に合意した。その宣言の採択は広島で行われ、一昨年この地を訪れたアキノ大統領は「政策決定者は広島、長崎で何が起きたかを忘れてはならない。道を誤った時、犠牲になるのは罪のない人々だ」と述べている。

 陛下はきのう晩さん会のあいさつで、戦争中のフィリピンの犠牲にあらためて言及した。その意味は重い。さらにスペインからの独立運動の英雄ホセ・リサールの名も挙げ、武力でなく文筆で機運を盛り上げた人だった、と述べたのも目を引く。

 国際情勢が緊迫の度合いを増す中で、日本とフィリピンが真の平和構築のために何ができるかを考える契機にしたい。

(2016年1月28日朝刊掲載)

年別アーカイブ