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核廃絶運動の継続誓う 広島県被団協60年式典

 広島県被団協(坪井直理事長)は27日、5月に結成60年を迎えるのを前に広島市中区で記念式典を開いた。被爆者ら約100人が参加。被爆者運動の歴史を振り返るとともに、核兵器廃絶へ運動継続を誓った。(田中美千子)

 坪井理事長(90)はあいさつで、相次ぐテロや北朝鮮の核実験に触れ「まだまだ皆さんと頑張らないといけない」と決意表明。日本被団協の岩佐幹三代表委員(87)=千葉県船橋市=は記念講演で「今は大多数の人が戦争を知らない。被爆者を再びつくってはならないとの決意をより多くの人に持ってもらうのが私たちの役割だ」と呼び掛けた。

 歴代役員ら17人(うち故人15人)と、地域組織が推薦した31人(同4人)を功労者として表彰した。初代理事長の故森滝市郎氏の次女春子さん(77)=佐伯区=は坪井理事長から感謝状を受け取り「先人が築いた『核と人類は共存できない』とのメッセージを胸に核廃絶を目指す」と誓った。

 県被団協は1956年5月27日に結成。旧ソ連や中国の核実験などをめぐり原水禁運動が分裂したのに歩調を合わせ、もう一つの県被団協(佐久間邦彦理事長)が64年から別に活動している。

2世との連携探る時期 広島県被団協60年式典

 この60年、広島県被団協(坪井直理事長)は被爆地の被爆者を束ねて、原爆被害に対する国の補償を求め、そして核兵器廃絶を訴える運動を引っ張ってきた。老いが進み、県内の地域組織の解散が相次ぐ今、被爆2世たちも巻き込んだ活動の在り方を模索する時期にある。

 「被爆から10年間、生きる希望を失いがちだった私に被爆者の団結が勇気をくれた」。27日の記念式典で功労者として表彰された阿部静子さん(88)=海田町=は60年前を懐かしんだ後、こう声を落とした。「ただ、年々仲間が減って切迫した気持ちです」

 結婚間もない18歳の時、平塚町(現中区)で被爆し顔に傷を負った。被爆者への援護も組織もほとんどなかった「空白の10年」の苦境から県被団協の活動に一主婦として「わらをもつかむ気持ち」で参加。被爆者の窮状を訴える国会請願に幼子を連れて加わった。

 県被団協と同じ年にできた海田町原爆被害者の会で手記集編集などの世話を続け、1995年に会長就任。しかし、高齢化で2007年に解散し、会の慰霊祭も途絶えた。「せめて私が証言を続けたいけど、体がついてこなくて…。さまざまな地域の活動が運動の力の源。ほかの会は頑張ってほしい」と願う。

 被爆70年の昨年は、西城町原爆被害者友の会(庄原市)などが解散。3月には高宮町原爆被害者友の会(安芸高田市)が閉じ、県内の地域組織は40を切る。

 「被爆者がゼロになっても原爆の恐ろしさを世界に発信しないと」。そう言うのは、地域の会功労賞を受けた三次市原爆被害者協議会会長の時丸卓爾さん(84)。期待するのは被爆2世だ。同会の会員は被爆者約500人に対し、2世は約600人。年2回の会報づくりなどの活動を2世が引き継いだという。

 式典には福山市原爆被害者友の会会長で被爆2世の藤井悟さん(69)も出席した。福山市原爆被害者の会の解散を受けて被爆者、2世らで昨年4月に結成した。阿部さんや時丸さんの受賞の言葉を聴いた後、力を込めた。「先人が被爆者運動に込めた思いを受け継ぎ、さまざまな市民が団結して平和を追求する組織にしたい」(水川恭輔、田中美千子)

(2016年1月28日朝刊掲載)

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