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証言 記憶を受け継ぐ

『記憶を受け継ぐ』 井上喬夫さん―同僚の遺骨 渡し続けた

井上喬夫(いのうえ・たかお)さん(89)=福山市

焼け野原の部隊跡。隊員の家族が捜しに来た

 井上喬夫さん(89)が戦時中、通信兵として所属していた中国軍管区通信補充(ほじゅう)隊(中国第一二一部隊)は、爆心地から約600メートルの広島城にありました。約千人いたとされる隊員はほぼ全滅(ぜんめつ)。業務で別の場所にいて死を免(まぬが)れた井上さんら7人は、隊員を捜(さが)しに来た家族に遺骨を渡し続けました。「いたと思われる場所にある遺骨を持って帰ってもらった。喜んでもらえた」。そう振(ふ)り返(かえ)ります。

 当時は18歳(さい)。呉郵便局(呉市)から軍に召集されていました。原爆が投下された前日、井上さんを含(ふく)む7人は白島北町(現広島市中区、爆心地から約2キロ)にあった中国軍管区工兵補充隊に電話線を張りに行きました。しかし作業が終わらず現地に泊(と)まりました。

 6日朝8時15分、作業に出るため通信機器を車に積もうとしていました。パアッと光った次にドッカーンというすさまじい音。空はオレンジ色の交じった黄色になり、何も見えなくなりました。

 視界が開けた時、目に映ったのは、全壊した木造2階建ての兵舎。そして助けを求める叫(さけ)び声が聞こえてきました。ただ、人命を助けるより軍の備品を優先しなくてはならない時代。井上さんたちも機材を安全な場所に移動させるため広島城の本隊に戻(もど)ろうとしました。

 国鉄(当時)の山陽線の線路まで行きましたが、そこから先は火の勢いが激しくて進めません。中心部から逃(に)げてくるのは、手足を骨折してぶらぶらさせた人、顔中火ぶくれで失明した人、全身の皮膚(ひふ)がずるずるにむけた人、死んだ赤ちゃんを抱えた母親…。ほぼ無傷だった7人は救助に当たりました。京橋川の土手や牛田(現東区)の山手にある日陰に誘導したり、歩きやすいように道を開けたり。本隊に戻ったのは、火が収まった4、5日後でした。

 部隊があった場所は焼け野原。「石、鉄骨、遺骨。燃えなかったものだけ残っていた」。7人は部隊の石門に廿日市(はつかいち)国民学校(現廿日市小)にいる旨(むね)を炭で記し、同校から毎日、部隊跡(あと)に通いました。

 隊員を捜(さが)しに来る家族に遺骨を渡(わた)すのです。地下壕(ごう)から掘(ほ)り出した軍人名簿(めいぼ)を見ながら、隊員がいたと思われる兵舎跡に連れて行き、そこにある遺骨を持って帰ってもらいました。「『よくぞ教えてくださいました。ありがとうございました』と礼を言われましたよ」

 終戦後は、遺骨を5人分ほど抱(かか)えては、岡山や倉敷など遺骨を取りに来なかった遺族に、汽車で届けました。

 井上さんを捜しに来たのは、父角五郎(かくごろう)さん(当時52歳)でした。被爆5、6日後、実家の福山から汽車で海田市駅(現海田町)に来て、広島城まで歩きました。石門の伝言を見て、廿日市国民学校まで訪ねて来てくれました。「息子が生きていたと喜んでくれましたよ」と目を潤(うる)ませます。

 年が明けて復員してからはすぐ呉郵便局に戻り、その後、県内各地の電話局に勤務しました。1953年の結婚後、菊花(きっか)展を見に行ったのを機に菊(きく)作りを始めました。内閣総理大臣賞や県知事賞に何度も選ばれるなどし、今も毎年、福山菊花展に出品しています。

 「苗(なえ)をあげて仲間が増えて。菊を通じて人の輪、笑顔が広がる」。国同士でも「困った時は助け合い、持ちつ持たれつで平和に歩んでいくべきだ。戦争だけは絶対嫌(いや)」と強調します。(二井理江)

私たち10代の感想

冷静に救助 簡単でない

 井上さんは原爆投下から数日間、被爆者を日陰(ひかげ)に誘導(ゆうどう)するなどして助けたそうです。皮膚(ひふ)が垂れていたり目が飛び出していたり恐(おそ)ろしい状態でした。そんな状況(じょうきょう)でも冷静に対処して周囲の人々を助けるのは簡単ではありません。もし災害や事故、テロ事件に遭遇(そうぐう)したら、自分も実行したいです。(高2岩田壮)

命より軍が優先の時代

 戦争中は人の命よりも軍の通信機器を守る方が優先されたそうです。「人を助けるよりまず物を安全なところへ」という言葉が胸に刺(さ)さりました。こんな恐(おそ)ろしい言葉に従わざるを得ない時代が二度と来ないよう、日ごろから政治やメディアの発信に対して、本質をくみ取る努力を続けたいです。(高2二井谷栞)

信頼で戦争はなくせる

 井上さんの話に「持ちつ持たれつ」という言葉が何度も出てきました。被爆前から戦争の終わりを願いながら、配給された少ない食べ物を複数の人で分け合って食べたそうです。現在の社会でも、国同士で助けたり助けられたりしながら、信頼(しんらい)関係を築いていけば、戦争はなくなるのではないでしょうか。(高2森本芽依)

(2016年2月1日朝刊掲載)

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