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連載・特集

70年目の憲法 第1部 暮らしに息づく <1> 幸福追求権

地域でみとる思いはせ 8割の人 病院で逝く

 日本国憲法はことし公布70年。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義が3大原則の憲法は国を形づくる最高法規で、一度も改正されたことはない。憲法の制定過程を問題視したり、9条見直しや新たな人権規定の必要性を挙げたりする改憲論。一方、この間戦争がなかったなど現行憲法の意義を主張し、改憲を急ぐ政権の動きに警鐘を鳴らす護憲論。憲法はどこへ向かうのか。まずは、その役割を日々の暮らしに見る。

 深い雪を踏み、広島県北広島町芸北地域の雄鹿原診療所長、東條環樹医師(43)が往診で近くの民家を訪ねた。1月下旬、肺気腫と糖尿病、高血圧を患う1人暮らしの岡崎忠二さん(86)はベッドに腰掛けた。呼吸が苦しく、声もかれる。一寸先の命の保証はない。それでも表情に悲壮感はない。

「家に帰りたい」

 テレビを見たり庭を眺めたり。そんな日常を過ごす岡崎さん。「このままでいいんです。ここがえーんです」。すぐに言葉を継ぐ。「病院に行くと延命治療になる。家じゃ食いたけりゃ食えるし」。大きく笑った岡崎さんの隣で東條医師はうなずく。そして人の最期の「幸福追求」を思う。

 岡崎さんは2014年の夏、当時87歳の妻を自宅でみとった。脳梗塞の妻は広島市で入院中にせがんだ。「家に帰りたい‥」。東條医師は訪問介護やリハビリと一体で緩和ケアを尽くし、家で終末期を支えた。

 北広島町の65歳以上の高齢化率は36・7%で、県内の自治体の先頭を行く。中でも芸北地域は46・0%と高い。この地に赴任して丸15年の東條医師は「地域でみとる」取り組みを進める。医療と介護の連携、本人と家族の合意形成に加え、住民に実情も話す。

 苦い経験が後押しする。医学部を卒業後、県内の病院に勤務した。「学校で教わるのは病気の診断と治療だけ。自分も含め、多くの医師が家に帰す意味や意義を理解していなかった」。肝硬変の終末期の患者がいた。「家の近くの温泉に入りたい」。家族も同意した。しかし検討に時間がかかり、間に合わなかった。

 東條医師によると、全国で療養場所に自宅を希望する人は6割いる一方、8割強の人が病院で亡くなる。家族の負担が大きく、迷惑を掛ける―。東條医師はその思いも痛いほど分かる。ただ、「人の最期の願いは切実。享楽的な幸福ではなく、人としての基本的な幸福」。その思いを深める。

介入し過ぎずに

 芸北地域では全死亡者数の約半数を東條医師と後輩の医師の2人で、自宅や施設でみとっている。ただ独居や老老介護の場合は無理をしない。「寄り添う家族は体力的な面はもちろん、衰えゆく肉親を見ると精神的にも疲弊する。共倒れしては本人も家族も医師も後悔しか残らない」。本人を一時的に施設で預かり、家族に休んでもらうシステムも取り入れている。

 東條医師は、緩和ケアの質の向上に努める一方、サポートの中心にはケアマネジャーを据える。医療が介入し過ぎると人は患者になる。そうすると人は原始的な幸福を求めなくなると考えるからだ。

 「死のスイッチが入ると誰にも止められない。大切なのは幸福感なのに」。憲法が保障する幸福追求権。東條医師はこの地で思いを巡らせる。(胡子洋)

憲法13条
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

(2016年2月7日朝刊掲載)

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