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社説・コラム

『言』 原発のコスト 「安い」は神話にすぎない

◆立命館大教授・大島堅一さん

 福島第1原発事故からまもなく5年。原発の安全神話は崩壊したが、「安価神話」は今も根強い。果たして原発の発電コストは本当に安いのか。その点に異論を唱えてきた環境経済学者で、立命館大国際関係学部の大島堅一教授(48)に原発再稼働や電力小売り自由化をめぐる現状をどう考えるのか聞いた。(聞き手は論説委員・東海右佐衛門直柄、写真・福井宏史)

  ―「原発がなければ、日本経済は立ちゆかない」と考える人もいます。
 原発の経済性にはカラクリがあります。既存の原発は、燃料費や運転維持費などしかかからず、電力会社にとっては安い。けれど新しく造る場合には事情が違います。

  ―しかし昨年の経済産業省の試算では、新設する原発の発電コストは1キロワット時10・1円と、他電源より安くなりました。
 中身をみるとおかしい。例えば建設費はどうでしょう。福島の事故後、深刻な事故を防ぐための安全対策が強化され、世界的にコストが高騰しています。なのに経産省の試算では震災前の複数の原発建設の平均値を当てはめています。つまり現実的な数値になっていないのです。

 現実の建設コストを盛り込んで私が試算すると、原発の発電コストは17・4円でした。石炭火力や液化天然ガス(LNG)火力などより割高です。エネルギー問題に詳しい米国の調査機関ブルームバーグ・ニュー・エナジー・ファイナンスも、原発のコストは風力や天然ガス火力より割高と試算しています。問題なのは、こうした国の試算のカラクリが国民に知らされないまま「原発は安い」と信じ込まされていることです。

  ―新設では高くても、今ある原発については再稼働させたほうがいい、との声もあります。
 そうは思いません。原発には見えない社会的コストが非常に大きい。福島の事故で、東京電力が被災者に支払う損害賠償の見込み額は7兆円以上。その原資はどこから来ているのか。多くは原発を持つ電力会社が利用者の電気料金に「一般負担金」として上乗せして拠出しているのです。つまり国民負担です。普通の企業が事故を起こしたら賠償責任を負うのは当然でしょう。しかし原発は事故賠償のほか立地対策まで国民の負担で成り立っている。電力会社には安いけれど、国民にとっては高い電源なのです。

  ―原発のコストが高いのなら、4月からの電力自由化にどのような影響が出ますか。
 事業者間の競争が進めば本来、コスト高の原発は市場競争で淘汰(とうた)されるはずです。しかし経産省は原発を優遇するシステムを電力自由化後も整えようとしています。原発の建設費や核燃料の処分費などを含め電気料金を決め、仮に電力会社に損失が出た場合は利用者から回収できる仕組みが議論されています。事業者が背負うべきリスクとコストを国民につけ回す形であり、許されません。これがまかり通れば競争原理は大きくねじ曲げられます。

  ―国と電力業界が、何事もなかったかのように原発に回帰しようとしているわけですね。
 戦後、政府は国策として原子力の利用を進め、それに沿って電力会社は全国に原発を造ってきました。電力会社にかかる費用は一部にすぎず、すべてのコストは利用者に転嫁できました。国とのもたれ合いの構図の中で電力会社は自らの経営努力によって原発のリスクを背負う発想自体、持ちあわせてこなかったのです。脱原発が進めば、核燃料や原発施設という資産価値がゼロになる。自社の損を避けるために原発にしがみついているのだと思います。

  ―電力自由化の議論が進んだこと自体、3・11が大きなきっかけでした。
 福島の事故後、国のエネルギー改革は表面上、進みました。再生可能エネルギーも普及し、今春には電力小売り自由化も実現します。でも肝心の問題は放置されたまま。それは原発をめぐるお金の流れです。原発を支援してきた財政の仕組みを除去し、さらに再生可能エネルギーに振り向けることが必要です。ここにメスを入れなければ、また原発に依存する社会に逆戻りしかねないのです。

おおしま・けんいち
 福井県鯖江市生まれ。専門は環境経済学。一橋大大学院博士課程単位取得退学。高崎経済大助教授などを経て、08年から現職。12年に著書「原発のコスト」で大仏次郎論壇賞を受けた。

(2016年2月10日朝刊掲載)

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