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社説・コラム

天風録 「サラエボの悲劇」

 フィギュアスケート界の伝説が生まれたのは、32年前の今頃だ。旧ユーゴスラビアのサラエボであった冬季五輪。アイスダンスを制した英国のトービル・ディーン組の演技に、学生下宿のおんぼろテレビの前で息をのんだ▲衝撃度は超絶といわれた羽生結弦選手の世界最高得点よりはるか上だろう。悲恋の物語を氷上で大胆かつ優美に舞い、ラストは絡み合い倒れ込む―。芸術点で審査員全員が満点という空前絶後の記録にも拍手を送った▲その記憶は、少しほろ苦い。華やかな歓声に包まれた五輪会場の数々が10年たたずしてボスニア紛争で市街戦の舞台となり、廃虚と化したからだ。平和がいとも簡単に崩れ去る恐ろしさ▲約20万人という犠牲者の数に暗澹(あんたん)たる思いになる。内戦が終わり、新生ボスニア・ヘルツェゴビナが日本と国交を結んで今月で20年。かの都市は首都として再生したが、傷痕も深いはずだ。五輪スタジアム跡のそばには白い墓標が無数に並ぶと聞く▲そのサラエボと広島市が年内にも交流宣言する構想が浮上した。互いの悲劇を学び合い、一緒に伝える手だてを早めに考えたらどうか。平和のありがたさを何より感じたいオリンピックイヤーである。

(2016年2月12日朝刊掲載)

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