×

社説・コラム

『論』 ヒトラーの影 「抵抗した市民」に着眼を

■論説委員・田原直樹

 書店の棚を眺めるうち、ふと気がついた。このところヒトラーやナチ時代をテーマとした本の刊行が目立つことに。新書をはじめ手軽なものから、海外の歴史家らが研究成果をつぎ込んだ大著の訳書までが並ぶ。ホロコーストの実態や戦争犯罪の追及劇を描く映画の封切りも相次いでいる。

 大戦終結70年の節目を経て、ドイツではヒトラーの著書「わが闘争」が再出版され、売り切れた。バイエルン州が「禁書」としてきたが、版権が切れた。歴史研究機関が注釈を大量に付けて、刊行に踏み切ったという。

 ナチスの時代や社会に、今も関心が寄せられるのはなぜだろう。世界を覆う時代状況に、どこか当時と似たところがあり、その影に私たちはおびえているのではないか。相次ぐ出版も、社会不安に応えたものといえるかもしれない。

 そんなことを考えつつ何冊か手に取った。中でも新しい視点が得られ、わが身を考えさせられた1冊が「ヒトラーに抵抗した人々」(中公新書)である。今は倉敷市に住む秋田大名誉教授、対馬達雄さん(70)が著した。

 反ナチを訴えたショル兄妹ら大学生の白バラグループや、ヒトラー暗殺計画を実行して失敗した軍人らは「英雄」として語られてきたが、この書は主に「市民の勇気」に着眼する。

 ひそかにナチスへの抵抗運動を続けたグループや、ユダヤ人を援助し、脱出を手助けした市井の人々が紹介されている。多くが日本では知られぬ人たちだろう。

 当時のドイツはナチスの台頭を国民の多くが支持し、協力も惜しまなかった社会である。反ナチの行動が見つかり密告されれば、逮捕されかねない。それでも追い詰められ、困窮するユダヤ人を見かねて食料を分けたり、かくまったり。自分のできることで、手を差し伸べた人たちがいた。

 「人類の過ちを昔話や人ごとにしないために、今こそ無名の人々の勇気ある行動を掘り起こし、伝えることが大切でしょう」。対馬さんは託した思いをそう語る。

 抵抗した市民は勇敢な「英雄」と評されるべき存在だろう。ところが戦後も長く「裏切り者」のレッテルを貼られたままだった。その行動に光が当てられるのは、戦後随分たってからという。

 同書でも紹介されるゲオルク・エルザー(1903~45年)は、復権が最も遅かった一人である。家具職人の彼は、第2次大戦が始まって間もない頃、精巧な爆弾でヒトラー暗殺を企てた。昨年、日本でも公開されたドイツ映画「ヒトラー暗殺、13分の誤算」は、彼の信念と半生を描く。

 穏やかな農村がナチズムに染まっていく。「ユダヤ人お断り」の看板が立てられ、ユダヤ男性と恋仲の女性はさらし者にされた。ヒトラー式敬礼を拒んだエルザーは平凡な市民ではあったが、付和雷同しなかった。ナチスの暴虐が横行し、戦争へと傾斜する社会に危機感を抱いて一人立ち向かった。

 拷問で動機を問われたエルザーが映画の中で語る言葉がまっすぐ胸に刺さる。「僕は自由だった。だから正しいことをする」「何かしなければ、手遅れになる」

 ドイツでは近年、「同意の独裁」だったとの指摘がなされ、あの時代の捉え方が変わってきたという。国民の多くがヒトラーの経済政策などを歓迎し、独裁を支えた事実に目を向ける動きだ。

 ヒトラーやナチスの所業を知り、繰り返さぬよう胸に刻むことが重要なのは言うまでもない。だがもう一つ、それを大多数の国民が支持し、追随したことや、一方で危うさを察知して抵抗した人々がいたことも学ぶべきだろう。

 ナチ時代の再来を防げるのだろうか。「抵抗市民の生き方に、私たち自身を重ね合わせ、問うしかない」。対馬さんはそう言う。

 だがこうして偉そうに記す私自身、勇気ある市民として行動できるだろうか。正直なところ自信はない。だからこそ、ヒトラー的な政治の出現や空気の広がりに注意を払い、防がなくてはと思う。

 書店の棚には、反中嫌韓の本も目に付いた。今ではナショナリズムへの警鐘を鳴らす書が多く並んでもいる。

(2016年2月18日朝刊掲載)

年別アーカイブ