社説 長崎の被爆者手帳判決 現行制度に一石投じた
16年2月24日
長崎には「被爆体験者」という広島では耳慣れない呼称がある。原爆投下時に爆心地から半径12キロ以内にいたが、国が定める被爆地域外のため被爆者健康手帳を交付されていない人だ。そのうち161人が長崎県・市に手帳交付を求めた訴訟で、長崎地裁の判決が出た。原告10人のみ手帳交付を命じるものだ。
国が定めた援護対象のエリア外の人を被爆者と認めた司法判断は、入市・救護被爆者を除いて初めてだ。救済の幅を広げようという思いは理解できる。ただ原告と被告の双方から戸惑いの声が聞かれた。判決の内容をどう評価すればいいか、その難しさを映してもいよう。
判決で最も注目されるのは被爆者認定の新しい基準として、年間の放射線被曝(ひばく)線量25ミリシーベルトという指標を示したことだ。自然に浴びる年間被曝線量(2・4ミリシーベルト)の10倍以上で健康被害が及ぶ可能性があるとした。ただ、なぜそこで線を引くのかは、十分な説明はなかったようだ。
その点では、原告の主張を受け入れたともいえまい。第1陣の集団訴訟では全面敗訴し、今回の第2陣は米国の調査団が1945年に長崎市と周辺で行った調査を基に原告一人一人の推計線量を提出していた。判決はそのデータに理解を示し、10人だけについて請求を認めたことになる。しかし原告側からすれば、いっそ全員を救済すべきだと思うのも分かる。
さらに内部被曝については、「当時の生活では放射性物質を体内に取り込む可能性が高かった」としながらも「健康被害が生じたとまでは認められない」として踏み込まなかった。
被爆者団体には判決を一定に評価する声もあるが、全体からすれば生煮えとも思える。
ただ、判決の視点が従来の手帳交付をめぐる考え方に一石を投じたのは間違いない。直接被爆の場合、過去の市区町村などを基本とする「面」の単位で線引きし、その範囲にいたなら個々の申請者の状況にかかわらず被爆者と認めてきたといっていい。それが今回、申請者の被曝線量を個別に推定する要素が付け加わったことになる。
ただ制度全体にどこまで波及するだろう。今回の裁判には、長崎特有の事情もある。被爆地域は爆心地から南北約12キロ、東西に7キロといびつに縦に長い。57年の旧原爆医療法制定当時の行政区域を基に線引きし、その後も域外から手帳交付の訴えを受ける格好でエリアを広げてきたからである。
その過程で「体験者」がいた東西方向の地域は、結果として網から漏れた。国はこうした人たちにも一部の医療費を補助するが、不公平との思いが一連の訴訟につながっていよう。
爆心地からおおむね半径5キロの範囲で手帳を交付する広島市とは、必ずしも同列に論じられない面もある。原爆投下直後に「黒い雨」を浴びた人たちへの手帳交付をめぐる訴訟への影響も現時点では読み切れない。
一つ言えるのは、70年も前の原爆被害を科学的に立証することは現実的に難しいことだ。個々の状況に鑑み、より柔軟に対応する視点が求められよう。
原告の大半が控訴方針で舞台は福岡高裁に移る。第1陣の訴訟の高裁判決も近い。この判決内容の検証も含め、司法の場でさらに審理を尽くしてほしい。
(2016年2月24日朝刊掲載)
国が定めた援護対象のエリア外の人を被爆者と認めた司法判断は、入市・救護被爆者を除いて初めてだ。救済の幅を広げようという思いは理解できる。ただ原告と被告の双方から戸惑いの声が聞かれた。判決の内容をどう評価すればいいか、その難しさを映してもいよう。
判決で最も注目されるのは被爆者認定の新しい基準として、年間の放射線被曝(ひばく)線量25ミリシーベルトという指標を示したことだ。自然に浴びる年間被曝線量(2・4ミリシーベルト)の10倍以上で健康被害が及ぶ可能性があるとした。ただ、なぜそこで線を引くのかは、十分な説明はなかったようだ。
その点では、原告の主張を受け入れたともいえまい。第1陣の集団訴訟では全面敗訴し、今回の第2陣は米国の調査団が1945年に長崎市と周辺で行った調査を基に原告一人一人の推計線量を提出していた。判決はそのデータに理解を示し、10人だけについて請求を認めたことになる。しかし原告側からすれば、いっそ全員を救済すべきだと思うのも分かる。
さらに内部被曝については、「当時の生活では放射性物質を体内に取り込む可能性が高かった」としながらも「健康被害が生じたとまでは認められない」として踏み込まなかった。
被爆者団体には判決を一定に評価する声もあるが、全体からすれば生煮えとも思える。
ただ、判決の視点が従来の手帳交付をめぐる考え方に一石を投じたのは間違いない。直接被爆の場合、過去の市区町村などを基本とする「面」の単位で線引きし、その範囲にいたなら個々の申請者の状況にかかわらず被爆者と認めてきたといっていい。それが今回、申請者の被曝線量を個別に推定する要素が付け加わったことになる。
ただ制度全体にどこまで波及するだろう。今回の裁判には、長崎特有の事情もある。被爆地域は爆心地から南北約12キロ、東西に7キロといびつに縦に長い。57年の旧原爆医療法制定当時の行政区域を基に線引きし、その後も域外から手帳交付の訴えを受ける格好でエリアを広げてきたからである。
その過程で「体験者」がいた東西方向の地域は、結果として網から漏れた。国はこうした人たちにも一部の医療費を補助するが、不公平との思いが一連の訴訟につながっていよう。
爆心地からおおむね半径5キロの範囲で手帳を交付する広島市とは、必ずしも同列に論じられない面もある。原爆投下直後に「黒い雨」を浴びた人たちへの手帳交付をめぐる訴訟への影響も現時点では読み切れない。
一つ言えるのは、70年も前の原爆被害を科学的に立証することは現実的に難しいことだ。個々の状況に鑑み、より柔軟に対応する視点が求められよう。
原告の大半が控訴方針で舞台は福岡高裁に移る。第1陣の訴訟の高裁判決も近い。この判決内容の検証も含め、司法の場でさらに審理を尽くしてほしい。
(2016年2月24日朝刊掲載)