×

社説・コラム

『潮流』 加害と向き合う

■論説委員・高橋清子

 自分が10、20代で同じ経験をしたなら、どんな感情が湧き、人生をどう送るのだろう。そう考えながら3時間半、広島市内で上映された記録映画「“記憶”と生きる」に見入った。

 韓国の元従軍慰安婦たちが暮らす「ナヌム(分かち合い)の家」を舞台に約20年前に撮影された。今は亡くなった6人のハルモニ(おばあさん)の泣いたり笑ったりの日常を描く。

 それぞれの過去を振り返った肉声は重い。戦地で旧日本軍兵士らの性の相手をさせられることになった経緯や、戦後ずっと息子たちに過去を知られたくないと悩んだ日々…。「私たちだって自尊心はある」。憤りの叫びも映し出された。

 なぜ今、世に問うたか。パレスチナ紛争の取材で著名なジャーナリストでもある土井敏邦監督に聞いた。元慰安婦が名乗り出て25年たっても解決せず、「制度は必要」と言う政治家もいる。彼女たちは同じ人間であり、一人一人の痛みを想像するための素材を提供したかったという。「元慰安婦」とひとくくりでは見えないものがあるから、と。

 土井さんはさらに言う。日本人は戦争中の被害を訴えるが、アジア諸国への加害責任からは目を背けがちではないか―。その傾向が再び強まることへの危機感が伝わってきた。

 慰安婦問題では日韓の政府間で解決への合意がされたにもかかわらず和解への道のりは遠い。要因の一つに加害国の意識が希薄な日本の姿勢もあるのだろう。与党国会議員が「犠牲者だったかのようにしている」などと妄言を吐き、撤回したのは象徴といえる。

 謙虚に歴史を検証し、過ちを繰り返さない視点で継承をしようとの議論も途絶えているのは残念だ。

 戦後71年。くだんの映画は自主上映が続き、米国や韓国でも公開する準備も進められている。どのように受け止められるだろう。

(2016年2月27日朝刊掲載)

年別アーカイブ