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社説・コラム

『想』 田中稔子 人間の共感

 被爆証言をする中で学んだことがあります。自分の体験を相手に肌で感じてもらうため、まず親近感を持ってもらうよう努めることです。人間としての共感を得てからでないと、平和を語ってもむなしいのです。

 昨年11月、イタリアに招かれました。被爆70年に合わせて、ピサなど五つの都市で講演するためです。

 「ヒバクシャの話を聞きに行こう」と、老若男女が会場に詰め掛けてくれました。しかし特殊な人が来て特殊な話をする―。最初はそんな気持ちが皆さんの心の隅にあったと思います。自分と離れたこととして理解してもらっても、言いたいことは伝わりません。

 何か方法はないか。戦後見た幾つかのイタリア映画が浮かびました。「自転車泥棒」は、日本と同じ貧しい時代が第2次世界大戦後の欧州にもあったと教えてくれました。「にがい米」で見た水田の広がる光景には親しみを持ちました。

 日本人の私と、イタリア人との間の「同じ体験」。冒頭にその思い出を振り返ったことで、証言を自分とつながった事実として聞いてもらえたと感じます。

 そう言う私も正直、イタリアをよく思ってはいませんでした。約30年前のツアー旅行で、ぼったくりに遭った人がいたからです。「油断できない国」。そんな印象でした。

 今回訪れ、イメージは逆に。涙を流す人、真剣に聞く人…。平和活動に真面目に取り組む人と出会えて幸せでした。やはり一面だけで判断してはいけません。

 講演したピサ高等師範学校は、原爆開発に加わったイタリア生まれの物理学者、故エンリコ・フェルミ博士の母校です。孫の女性に会った経験がある私も、つながりを感じました。

 平和の実現に向けた被爆者の役割は、自らの体験を通して、人間的な関わりを他者と築くことではないかと思います。その上で、科学者が核兵器の恐ろしい威力について説明してくれたら、最高の平和活動ができると信じています。(七宝作家)

(2016年2月27日セレクト掲載)

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