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著者に聞く 「むらと原発」 猪瀬浩平さん 国策はね返した知恵に学ぶ

 副題は「窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと」。なんとも意味深だ。「もみ消す」という言葉には通常、隠蔽(いんぺい)という暗い意味がこびりつく。あえて、この言葉を選んだ理由を、著者は「もむ、という言葉には議論を尽くすという意味もある。原発誘致という大問題の結論を拙速に決めず、もみ合うことで生まれた『譲る知恵』を基に、一致して退けたことに意味がある」と強調する。

 四国電力が高知県の太平洋岸に原発の建設計画を公表したのは1980年7月。その数年前から同社は、同県窪川町(現四万十町)の住民を伊方原発(愛媛県伊方町)の視察旅行に招待するなど、周到に準備を進めていた。計画公表の1カ月前、かつて原発誘致に反対していた窪川町長が賛成に転じ、大勢は決したかに見えた。しかし、そこから世論が沸騰。町長リコールや、原発建設の是非を問う住民投票条例の制定に発展する。

 著者は東日本大震災の5カ月後、原発事故後の世界を生きる知恵を探ろうと窪川に入る。以来、10回以上の現地訪問を経て、想定していた「二分した激しい争いでしこりが残る農村」という構図が崩れていく。「かつての推進派と反対派が和やかに談笑している。『原発は過疎脱却の特効薬』という国や電力会社の論理の性急さと、農作業のやり方などで『もみ合って』きた村の流儀は異なる。意思決定の急なスピードへの拒否感が、長い時間を要した町議会での全会一致の終結宣言(88年6月)につながった」とみる。

 立場を超えて「もみ合う」ゆったりとしたスピード感を知った今、原発をめぐる賛成反対両派のいがみ合いや、「決められる政治」を渇望する風潮への違和感を覚えている。「震災後に流行した『原子力ムラ』という言葉には、電力業界とその周辺の人間関係に加えて、原発を受け入れた地方を『無知』『閉鎖的』と捉える蔑視を感じる。望まないもの、しっくりこないものを、時間をかけてはね返した農村の知恵にこそ、学ぶところが多くある」(石川昌義)(農文協・2160円)

いのせ・こうへい
 1978年さいたま市生まれ。明治学院大准教授、同大国際平和研究所員。専門は文化人類学、ボランティア学。

(2016年2月28日朝刊掲載)

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