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被爆ピアノ見つかる 爆心地から約2.3キロの広島市東区牛田旭 

調律師の矢川さん 夏までの修復目指す

 被爆ピアノが新たに見つかった。2002年に76歳で亡くなった中川(旧姓山脇)登美恵さんが、爆心地から約2.3キロの広島市東区牛田旭の自宅で所有していた。約30年間使われず壊れたままだったが、娘たちが「よみがえらせて」と被爆ピアノの修理を手がける調律師の矢川光則さん(63)=安佐南区=に寄贈。矢川さんは今夏までに修復を終え、音色の再現を目指す。(山本祐司)

 黒塗りのアップライトで「Morgenstern」という国内ブランド。作られた正確な年は分からないが、一緒にあった広島県立広島第一高等女学校(現皆実高)時代に中川さんが使っていた楽譜の出版年から推測すると、昭和の初めごろとみられる。

 長女の田中暢子さん(63)=大阪府大阪狭山市=によると、中川さんは19歳の時に自宅で被爆。1945年1月、実家の呉服店があった革屋町(現中区本通)から一緒に疎開させていたピアノも自宅にあった。戦後も自らの境遇と重ね、「エリーゼのために」を奏でるなど大切にしていた。ピアノの前側の傷は「原爆で受けた」と話していたという。

 このピアノで練習していた子ども4人は進学や結婚で自宅を離れ、弾く人がいなくなった。中川さんも亡くなり、ピアノの傷みは進む。「母に申し訳ない」と感じていた田中さんが昨年夏、矢川さんの著書を読み、活用できないか考えた。「このまま置いても処分することになる。演奏できる状態になった方が母も喜ぶし、平和のために役立つのでは」。年明けに矢川さんへメールを送った。

 「もう被爆ピアノは出てこないと思っていた」。連絡を受けた矢川さんは驚いた。新たな被爆ピアノとの出合いは2014年以来。すぐに対面した。下がったままの鍵盤、数本切れたピアノ線…。これまで所有した5台と比べ、状態は一番悪い。それでも「本通にあったら絶対残らなかった。傷は受けたが、命拾いした」と今月、引き取った。

 修理する際は現物をできるだけ残し、オリジナルの音色を探る。被爆2世の矢川さんは「どう直せばよいかやってみないと分からないが、音が鳴るようにして家族の思いと原爆の惨禍を伝えたい」と話している。

被爆ピアノ
 調律師の矢川光則さんによると、原爆投下時に、爆風や熱線の被害が著しかった爆心地からおおむね3キロ以内の地域にあったピアノをいう。倒壊家屋の下敷きになったり、爆風で飛び散った窓ガラスの破片が刺さったりしている。今回の発見で全国に保存されているのは計11台になった。広島市に9台、長崎市と仙台市に1台ずつある。

(2016年2月29日朝刊掲載)

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