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社説・コラム

社説 東電元会長ら強制起訴 大惨事の責任どう問う

 「レベル7」という最悪の事態となった東京電力福島第1原発事故から、間もなく5年。当時の経営陣に刑事罰を科すことができるのか。勝俣恒久元会長ら3人が、きのう業務上過失致死傷罪で強制起訴された。

 事故の刑事責任を問う裁判は初めてだ。昨年の検察審査会の議決に伴い、検察官役の指定弁護士が手続きを取った。同罪の公訴時効は5年だけに、ぎりぎり間に合った格好になる。

 原発事故は人災―。起訴状のスタンスは明確といえよう。3被告が津波を予測して対策を講じる注意義務を怠り、原子炉建屋を水素爆発に至らしめて自衛官ら13人にけがを負わせた。さらに原発近くの病院の入院患者44人を、長時間の避難中に死亡させた罪を問うている。

 むろん原発事故の人的被害のごく一部にすぎない。仮設住宅などで亡くなる関連死や自殺も絶えず、今なお10万人近くが避難生活を強いられている。そうした人たちの「なぜ誰も罰せられないのか」という憤りを代弁する裁判ともなろう。

 東京地裁の審理では、全電源喪失を招いた津波を被告が予見できたかが焦点となる。

 政府の地震予測に基づいて3・11と同規模の津波が起こりうると東電は試算したが、費用などを理由に対策を先送りしたことが明らかになっている。これに対して3被告は「報告を受けていなかった」「試算は知っていたが仮定であり、安全性は十分と思っていた」などと弁明してきた。無罪を主張するとみられるが、被告人質問では逃げることなく答えてもらいたい。

 現実には有罪立証の難しさを指摘する声があるのも確かだ。歴代3社長が強制起訴され、同じく重大事故の予見可能性が問われた尼崎JR脱線事故の裁判は一、二審とも無罪だった。

 ただ個人を裁くことだけが、この裁判の役割ではない。原発事故はなぜ防げなかったか。それを洗い出す意味は重い。

 というのも政府や電力業界が3・11以前の安全神話に逆戻りしつつあると思えるからだ。川内(せんだい)原発(鹿児島県)再稼働の前提となった「免震棟」新設をほごにしようとした九州電力の姿勢もその一つだ。

 関西電力にしても、高浜原発(福井県)4号機で冷却水漏れがあったのにスケジュール通りの再稼働に踏み切った。きのう別のトラブルで原子炉が自動停止するありさまである。

 ここにきて「番人」の原子力規制委員会も心もとない。老朽化する高浜原発1、2号機について40年を超えた原発を止めるとした新たな基準の「寿命」の例外扱いをあっさり認めた。

 今後の過酷事故を想定すると言いながら、どうせ起こらないと高をくくり始めているのではないか。そんな状況だからこそ福島の教訓を再び肝に銘じる時期を迎えている。

 3被告の初公判は来年にずれ込みそうで、おそらく長期化は避けられまい。東電も傍観は許されない。折しも福島で起きた炉心溶融(メルトダウン)を判断する社内マニュアルが実はあった、と公表したばかりだ。情報の隠蔽(いんぺい)体質が今なお疑われている。この裁判で証拠の提出や社員の証人出廷に全面的に応じ、自ら起こした惨事への説明責任を果たさないなら企業としての信頼は揺らぎ続けよう。

(2016年3月1日朝刊掲載)

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