×

社説・コラム

『この人』 ヒロシマを再び撮影する写真家 江成常夫さん 遺品との対峙 病魔抱え

 「鎮魂を込めて死者のメッセージを呼び戻したい」。広島市中区の平和記念公園にある原爆資料館の地下収蔵庫。取り出された1945年8月6日を刻む遺品を見詰め、利き腕でない左手でシャッターを押す。数々の賞に輝く写真家は、病魔を抱えながらヒロシマと再び向き合う。撮影は先月末に始めた。

 戦後の経済発展のうちに遠ざけられた「負の昭和」を撮ってきた。毎日新聞社(東京)写真部員を経て74年フリーランスとなり、自作の写真集で問い続けた。著書「レンズに映った昭和」を引けば、写真は「歴史化しつつある現実と対峙(たいじ)し、記憶に留(とど)める」力を持つからだ。

 進駐・駐留米軍兵士と結ばれた日本人女性の肖像「花嫁のアメリカ」、日本の親族を捜す中国残留孤児を追った「シャオハイの満州」、85年からは被爆者の心のうちに焦点を絞り、「ヒロシマ万象」を2002年に刊行。さらに、日本軍兵士のみならず現地の人々にも理不尽な死を強いた太平洋戦線の「鬼哭(きこく)の島」を撮った。

 半生を懸けた写真展「昭和史のかたち」が東京都写真美術館や、古里であり妻と住む相模原市などで12年春にかけて開かれた。しかし、右脇腹に見つかったがんの治療から鬱(うつ)にも襲われた。4年近く活動は中断し、薬は今も欠かせない。

 「可能な限り遺品を撮り、悪魔の兵器である原爆の本質を伝えたい。批評家がもてはやすアートではなく、人の心を揺さぶる表現をしたい」と言い、「私にとって最後の撮影になるでしょう」とも語った。(編集委員・西本雅実)

(2016年3月6日朝刊掲載)

年別アーカイブ