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社説・コラム

社説 震災5年 暮らし再建 住民の目線に寄り添え

 「5年がたち、もう復興したと思われるのかねえ」。宮城県石巻市の中心部にある仮設商店街で、パン店を営む店主の嘆きを聞いた。

 民間駐車場の敷地にプレハブ建物が並ぶ。被災した電器店や飲食など16店舗が肩を寄せる。だが平日の午後、訪れる人はほとんどなかった。最近、ボランティアや観光客の姿が、めっきり減ったそうだ。パン店を再開した時、1日80人はいた客は今や十数人。「復興景気」の曲がり角と被災地への関心の薄れを実感しているという。

 この商店街は昨年末に閉鎖される予定が、ことし秋まで延長された。他の場所への移転費用などのめどが立たない店主らには「廃業」の思いもよぎる。

 東日本大震災から5年。被災地では復興のつち音が間断なく響く。津波にのまれた地域では市街地かさ上げをはじめ高い防潮堤の築造、高台への宅地造成などに巨費が投じられてきた。そうした中で、被災地を歩くと暮らし再建の道筋をいまだ見いだせない人たちと出会う。

 見過ごせないのが仮設住宅をめぐる状況だ。阪神大震災では5年で解消したのに対し、この震災では岩手、宮城、福島の被災3県に計2万9千戸が残る。自宅確保の見通しが立たず、撤去される仮設住宅から別の仮設へと渡り歩く人も少なくないと聞く。復興公営住宅に入ることができても周りの人たちとの人間関係をもう一度結び直さなければならない。コミュニティー再生の面でも課題を残す。

 ここにきて目立ち始めたのは行政の計画とニーズのずれだ。例えば宮城県山元町である。津波による災害危険地域の住民の移転先として国費を入れて宅地整備したが、区画の2割が売れず空いていた。やむを得ず一般への分譲を進めるという。

 遅れがちな高台移転の行く末も案じられる。何年か先、造成が終わって宅地が用意された時、居住を望む人がどれほどいるだろう。それを先読みして集団移転の規模は当初の想定より小規模化しているという。

 むろん住環境だけ整っても人は戻るまい。地域で働く場がなければならない。「何といってもなりわいが大切。皆さんの成功を全力で応援していく」。安倍晋三首相は先週末に福島市を訪れて強調したが、現実をどこまで認識しているだろう。

 国が事業費を全額負担する集中復興期間は今月末で終わる。今こそ立ち止まって復興スキームの現状を検証しておく必要があるのではないか。

 人口や被害規模などが多様な被災地域に対して、画一的な手法を推し進めた結果、復興のスピードも中身も温度差が鮮明になりつつある。巨大なインフラ整備の一方で、その足元では少なからぬ住民が目の前の生活に強い不安を抱いていよう。

 何より住民に身近なのは市町村である。上からの事業を消化する発想だけでなく、ニーズを捉え直し、優先順位などを再検討することも必要になってくる。一人一人に寄り添い、きめ細かい復興を成し遂げるために、場合によってはまちづくりの青写真を描き直すぐらいの気構えがあってもいいはずだ。

 「被災地を忘れないで」。石巻の商店主からの伝言である。遠く離れたわたしたちも関心を持ち、支援を続けたい。

(2016年3月8日朝刊掲載)

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