×

社説・コラム

『今を読む』 川崎医療福祉大准教授・田並尚恵 

定住と帰還―原発事故5年 県外避難者に選択迫れぬ

 東日本大震災から5年になる今も避難生活を続けている人たちは全国に散らばり、中国地方にも1800人余りいる。多くは原発事故の影響に伴う避難であり、福島県内の避難指示区域以外にも放射線量の高い地域があることから自主避難者も少なくない。

 こうした県外避難者を支援する制度の一つに災害救助法がある。他県の公営住宅の無償提供や民間賃貸住宅の借り上げなどの支援が行われている。避難先の自治体の判断によって自主避難者も支援の対象となっているケースがあるものの、対応は一様ではなく自主避難者が受けられる支援はかなり限定的である。

 2011年に成立した原発避難者特例法では、避難者が以前住んでいた地域と同様の行政サービスを避難先でも受けられることになっているが、支援対象は避難指示区域からの避難者に限定された。

 12年に議員立法として成立した原発事故子ども被災者支援法では、①被災地に居住する②他の地域に居住(避難)する③被災地に帰還する-といった選択を被災者自らの意思で行うことができるように、国は適切な支援を講じるべきであると規定していた。支援対象区域が「放射線量が一定の基準以上である地域」とされ、自主避難者への支援の拡大が期待されたが、実際の支援対象は(避難指示対象区域を除く)浜通り、中通りの33市町村にとどまった。

 このように、県外避難者については避難指示区域からの避難者と自主避難者、さらに自主避難者も先の33市町村からの避難者とそれ以外の地域からの避難者とが支援において区別されている。ただし避難指示区域からの避難者も避難指示が解除されれば、自主避難者と同じ扱いとなるため、自主避難者の問題は避難指示区域からの避難者にとっても人ごとではない。

 昨年、国と福島県は県外避難者の支援方針を転換させた。6月に福島県は自主避難者を対象とした仮設・借り上げ住宅の供与期間を17年3月末までとし、帰還する際の移転費用の支援、県内の民間賃貸住宅家賃の支援、公営住宅の確保などの支援を行うことを正式に発表した。

 しかも17年3月末までに避難指示が解除されれば、避難指示区域からの避難者も自主避難者と同様の扱いとなるということが、後で明らかになった。8月には子ども被災者支援法の基本方針が改定された。「放射線量が低減し、避難指示区域外からは新たに避難する状況にはないが、被災者が帰還か定住かを判断するには一定の期間が必要のため対象地域の縮小はしない」としながらも「帰還支援」と「(避難先での)定住支援」が重点施策として示された。

 このような自主避難者への住宅支援の打ち切りともいえる政策である。県外避難者は避難先への「定住」もしくは被災地への「帰還」の二つの選択肢しか用意されていないことに反発し、住宅支援の継続を強く要望している。

 避難者が避難先での居住の継続を希望する場合、公営住宅は応募期間中に申し込みをする必要があろう。一般入居に切り替われば住民票を移し、家賃を負担しなければならない。民間賃貸住宅についても同様に自己負担となる。

 阪神・淡路大震災では5万4700人もの被災者が県外に避難した。私は09年に県外避難者調査を行ったが、15年たっても、戻りたいけれど戻れない人たちがいた。いつ戻るのかと尋ねたが、「夫が定年を迎えたら」「子どもが学校(高校)を卒業したら」といった回答もあった。

 東日本大震災の県外避難者にも同じような事情があると推測する。子どもが避難先の学校になじんでいるのであれば、親は転校をためらうかもしれない。卒業までには年月がかかる。避難先で新たな仕事に就いたのであれば、すぐに辞められないこともある。

 将来的に戻るつもりであっても「すぐには戻れない」のであり、それは定住でも帰還でもない。帰還に当たってはさまざまな事情が交錯するため、支援が打ち切られるからすぐに戻ろうという単純な話にはならないはずだ。「定住でも帰還でもない避難」を支えることが、今しばらく国や自治体に求められている。

 67年神戸市生まれ。関西学院大社会学研究科博士課程後期課程満期退学。専門は災害社会学。阪神・淡路大震災の県外被災者の現状、東日本大震災の県外避難者への支援などについて調査研究してきた。

(2016年3月8日朝刊掲載)

年別アーカイブ